浪曲子守唄

   
むかし釜ケ崎にいた時、必ずどっかで誰かがこの歌を唄っていた。

一節太郎の『浪曲子守唄』。


 ♪逃げた女房にゃ 未練はないが お乳ほしがる この子がかわい
  
  子守唄など にがてな俺だが 馬鹿な男の 浪花節 一つ聞かそか ねんころり

(科白)

 『そりゃ…無学なこの俺を親にもつお前はふびんな奴さ。泣くんじゃネエよ、泣くんじゃネエよ。 

  おいらも泣けるじゃネエか。ささいい子だねんねしな。』


とまあ、こんな歌。


歌は父子家庭の父親を唄っているけど、じっさいに唄ってるのはそうではない。

むしろ、家庭を捨て、母子家庭を作ってしまった男が感傷いっぱいで唄ったりする。

金を稼ぐ事が父親の仕事と信じきって、嫁の心や子供のいのちと向き合うことのないままの男かも知ら

ん。素直にあやまることが出来なくて、唄に気持ちを託してるのかも。

「男らしさ」をそうしたものと思っている男が、普通の社会からはじき出されて釜ケ崎に入ったとき、そ

れに気づく事は稀だ。

むしろ、「男らしさ」幻想はより大きくなって、今まで以上に上にへつらい、下を見下すようになる。

女とうまくやっていけるわけもないから、酒とギャンブルに「男らしさ」を見るのかも知れない。

でもこれは、今の普通の社会でも形は違ってもよくあることだけども。


大阪市長居公園行政代執行に対する研究者声明」への賛同のお願い(とりわけ研究者の皆様方へ)
  →http://akubi.tdiary.net/20070126.html

nietzsche_rimbaudさんの記事で教えてもらった。
  →http://blogs.yahoo.co.jp/nietzsche_rimbaud/44177546.html

こんどは、この夏に長居競技場で開催される『世界陸上』が主な理由になっている。

今の釜ケ崎。

1903年内国勧業博覧会が新世界一帯で開催されたとき、同じような理由で名護町という貧民窟が強制移

転させられて出来たものだ。

この辺りは『大阪のスラムと盛り場-近代都市と場所の系譜学』に詳しい。


そう言えば、よくワーキング・プアってのを本人努力とか学歴とかそんなもんで理解する人もいるようだ

けど、必要な数とそうでない数の線引きには人格も能力も関係ない。

外に植民地が作れなければ、国内に作るだけのことでしかない。

ずっ~と上のポジションにいる人間の言う事はいつも同じだ。

こんなの

・・・お前のかわりはいくらでもいる。


そんだけ。