う ど ん
え~と、風邪ひいてまんねんひつ。
風邪のときは、熱っ~いうどんに七味ぎょうさん入れたの食って寝るに限ります。
むかし、大阪ではうどん屋に風邪薬(頓服)置いてたです。薄っすらと記憶あります。
ちょっと調べたらありました。
ところで、「きつねうどん」発祥の店とされるのは大阪の松葉屋です。
松葉屋のきつねうどん、食ったことあります。普通にきつねうどんです。
この二代目宇佐美辰一さんに『きつねうどん口伝』があります。
この本は聞き書きですが、宇佐美という店主の人柄か、何となくうどんが食いたくなる本になってます。
「きつね」だけでなく、「おじやうどん」や「しっぽく」、「小田巻」、「とりなんば」、「ハイカラうどん」に「しゃぶしゃぶ
うどん」…といろんなうどんが登場します。
そのどれもが、時代とその時々の客との交流の中で生まれております。
厳選、こだわり、秘伝、苦労、貧乏、成功・・・なんてグルメ本定番の言葉はまったく出てきません。
ウドンがウドンらしくツルッと伝わります。
やや長いですけど、二代目店主、宇佐美辰一さんの語り口です。
今のお昼時のお客さんは、定食として御飯とおうどんを一緒にたべたりしますけど、昔はご飯はご飯、う
どんはうどん、丼物は丼物というように、別々に食べてたもんです。
現在のようになったんは大正十五年頃でしょうか。ある時、店に近くにあった電話局の職員さんが、うど
んと一緒に白いご飯も注文しはったんです。それまでは職員さんもお弁当持参でうどんだけの注文でし
た。一人の職員さんの注文が、それまでのご飯の食べ方を変えたんですな。それを機会に店でも白いご飯
を出すようになりました。
戦後はかやくご飯を出してた時期がおましたけど、これを炊くために家内は毎朝三時に起きていました。
それやこれやの苦労が重なって早死にさせてしまいました。昭和四十六年、五十六歳でした。あれからも
う二十年にもなります。
どんはうどん、丼物は丼物というように、別々に食べてたもんです。
現在のようになったんは大正十五年頃でしょうか。ある時、店に近くにあった電話局の職員さんが、うど
んと一緒に白いご飯も注文しはったんです。それまでは職員さんもお弁当持参でうどんだけの注文でし
た。一人の職員さんの注文が、それまでのご飯の食べ方を変えたんですな。それを機会に店でも白いご飯
を出すようになりました。
戦後はかやくご飯を出してた時期がおましたけど、これを炊くために家内は毎朝三時に起きていました。
それやこれやの苦労が重なって早死にさせてしまいました。昭和四十六年、五十六歳でした。あれからも
う二十年にもなります。
ご飯持参というのは、保存の関係で一日のご飯を一度に炊いたので、持参してたと思う。
それより大正時代から大阪では、うどん&ご飯が普通であった事がわかったのです。
そんだけ。