ゴットン節
上野英信宅で唄っているのを英信の息子の朱(あかし)さんが録音されてたそうだ。
『ゴットン節』はこんな歌詞。
西日本新聞の『九州歌謡地図/仕事唄の情景』というところにあった。
→http://www.nishinippon.co.jp/nnp/culture/kayou/20060817/20060817_001.shtml
→ページの最後の方の[歌を聞く]で聴けます。
→http://www.nishinippon.co.jp/nnp/culture/kayou/20060817/20060817_001.shtml
→ページの最後の方の[歌を聞く]で聴けます。
さすがに、上手いとは言わないけど、何しろ作兵衛翁自身が唄っているのだと思うと沁みてくる。
ところで、上野英信は『炭坑節』について、「コールマンソングと英訳されていまや国際的でさえある日
本の代表的な民謡は、現在もなおもっともきびしい差別にあえいでいる人々の遺産であり、日本民族
の"黒人霊歌"であるということもできる」と述べていたそうだ。
すくった掌から零れ落ちた砂のように、語られない歴史、忘れられていく記憶、そして消されていく人々
なっているのではと、この頃思ったりすることが多い。
上野英信の『追われ行く坑夫たち』にこんなのがある。
「地獄極楽、いってきたもんのおらんけんわからん。この世で地獄におるもんが地獄じゃ」。 娘のころ
は父につれられて、結婚してからは夫とともに、うまれた娘が大きくなるとその娘をつれて、一生を暗黒
の地底で働きつめたひとりの老婆がいつもこう呪文のようにつぶやいていた言葉を、私は忘れることがで
きない。私のききあやまりではない。彼女は決して「この世の」とはいわなかったし、まして「この世の
地獄が地獄じゃ」などとはいわなかった。彼女はあたかも「この世で悪魔を見るものが悪魔だ」とでもい
うような調子でたしかに「この世で地獄におるもんが地獄じゃ」といっていた。そうだ、私にとって問題
であるもの、それは「この世の地獄」ではなくて、「人間そのものとしての地獄」であり「地獄そのもの
としての人間」である。(『追われゆく坑夫』より)
「この世で地獄におるもんが地獄じゃ」・・・今もそうだということだ。何も変わってない。
●「スカブラ」でありつづけた人・・・上野英信→http://blogs.yahoo.co.jp/tei_zin/11344207.html
↑は私の過去記事です。ついでに「上野英信」の書庫作ったりした。
↑は私の過去記事です。ついでに「上野英信」の書庫作ったりした。
そんなんです。