『骨を噛む』より

   
  カンテラの灯のように明滅する地底の唄をたどりながらわたしは、出稼ぎ坑夫のふるさと、南九

  州のシラス台地のひだの奥で耳にした、ひとりの老爺のつぶやきをまざまざと思いうかべずには

  おれなかった。


      うたは むごにききやい

      みちゃ めくらにききやい

      りくちゃ つんぼにききやい
  
      じょうぶなやちゃ いいごばっかい

  

  唄は唖にきけ。

  もののいえない人間だけがほんとの唄をうたうことができる。

  道は盲にきけ。

  目の見えない人間だけがほんとの道を知っている。

  理屈は聾にきけ。

  耳の聞こえない人間だけが真実を知っている。

  丈夫なやつは口さきの言葉ばかり。

  五体五官のそろった人間のことばなど、虚偽以外のなにものでもない。・・・

  ここには、ふかい絶望をふまえた民衆の知恵があり、かたくななまでに純粋な唄への姿勢がある。

  わたしたちがいまなお古い民謡や民話をたずねるのも、やはり歴史をつらぬく人間の真実を知り

  たいがゆえにであり、地下数千尺の坑内でうたいつがれ、語りつがれた唄や笑い話も、その例外
  
  ではない。

                             ―上野英信『骨を噛む』より



私が上野英信に出くわしたのは、上の文中にある「むごの唄」が表紙裏に掲載されている、岩波新書

『地の底の笑い話』で、1970年初めのころだったと覚えてます。

『地の底の笑い話』は、いまも流通していると思います。たぶんですけど。



そんなところです。