ダイラケ
けど、本当にダイマル・ラケットはこんな風に言ってたのか気になったので、漫才に詳しいアホ友達に問
い合わせて教えてもらった。
これは、中田ダイマル・ラケットの『地球は回る目が回る』という演目にあるらしい。
とまあ、これが正確なところです。
屁理屈というやつがあります。
なに!理屈が屁をこいたりすんのか!とさっそく屁理屈で突っ込み入れたりしますが。
誰でも小さい時に、母親から「お湯わかしといてくれるか」と言われて「お湯?水ならわかすけど、お湯
はもうわいとるから必要ないやん。」と屁理屈かえして、頭を引っぱたかれた経験はあるかと思います。
そんな屁理屈漫才のチャンピョンがダイマル・ラケットやったと思います。
同じく『地球は回る目が回る』にこんな下りがあります。
ダイマル「お日さんは東から昇って西にお隠れになる。」
「日帰りは太陽帰り、日の丸の旗は太陽の丸の旗いうんか。」
「今度の日曜日は何日や、これいうてみ。今度の太陽曜太陽は何太陽や」
最高です。
たとえば、支邦という言葉は何かと問題を抱えております。現に変換出来ません。
そうなるとシナチクはどうなるのか?です。シナチクは支那竹と書きますので。
ラーメン屋で「おっちゃん、シナチクちゃう、中国チクぎょうさん入れてな」と言い換えないとアカンの
でしょうか。
たとえば、いま問題となっている「東シナ海ガス田問題」も「東中国海ガス田問題」となるのか?
まぁ、こんな風に応用出来たりします。あっ、これは特にセージ的意図はありません。
ところで、ダイマル・ラケットのこの演目が聞きたい、観たいという思いがあります。
何度もお笑いブームが来ているようですが、ギャグでなくて、あの演目をという形で残ったものはほとん
どないように思います。
落語家と同じように漫才師も自分のネタを作品にまで持ち上げる努力をしていたのですが。
演芸場からテレビ→漫才をテレビで観ることが出来る→漫才師がテレビで有名になる→しかしテレビは芸
人を育てない→新人発掘の為の舞台が必要→テレビを観て漫才師を目指す新人誕生→どこかの師匠と師弟
関係を持たずに養成所に入る。新人専門の舞台に上がる→師弟関係が薄くなるので、芸人の集まりは芸の
伝承という所から離れていく→伝承すべきものがが消えていく。
だいたい、こんな具合かと思います。
権威を皮肉ったり、常識をひっくり返したりする所に「お笑い」の面白さがあるように思います。
そんなんで、もうギャグばっかりはいらんです。
はい。