『まだ生きている』
『まだ生きている』 まだ生きている、というしるしに何か書いてくれというN君の註文によってペンをとりあげた ところなり。N君とは半年以上の会見で、今しがた私はK鉄工場の事務所に忽然として現われ たのである。 老来、ますます頭がわるく、心境などはメチャクチャである。 しかし、生きてる間はまたなんとかよきことが湧いてくるかもしれないという妄想を断ち切れ ず、あさましき醜態を曳きずって歩いているのである。が、よくも自殺をしないものだと不思 議に感じているのである。 人間は与えられた定命がつきるまでは生活苦に喘いでも生きるものと、覚悟はしているものの 時折はまったく身も世もあらぬ心持ちがするのである。 親鸞の「地獄一定」の思想がしみじみと深く刻まれる。 現世には「なんの救いもない」という現実、最後に与えられたせめてもの慰めである。 -辻潤 1938(昭和13)
時々、辻潤の書いたもので、これええなぁと思うたものを、そのまま書き写そう思うてます。
それは、別に「神」辻潤はこう言っているという事で書き写すのではないです。
だいたいに、辻潤自身が「もし、この世に本当に神がいるのなら、一切の責任は神に負うてもらわなけれ
ばならない」というような事も言っております。
まぁ、そんなもんです。
ついでにいうと、「神」の嫌いな人で、「神」の替わりに「必然」ゆうのを持ち出す人もいてます。
似たようなもんで、過去より未来に向かって、何か進歩して来てるらしいです。
そう言えば、「人間の歴史はどうしてもカクカクの過程を経なければならぬものだなどと、始めから人間
の歴史の製造者でもあるかのような顔をしている人達がいる。」なんて事も、辻は書いたりしてます。
どっちゃにしろ、人間が、徐々に進歩して、上等になってきてるのやったら、ウチのオトン、オカンより
私が上等になってるという理屈になります。
それは、ありえんです。
『まだ生きている』は、1938年に発表されたものらしいです。
この頃辻のおっちゃんは、一管の尺八、菅笠、頭陀袋、腰に手拭い、下駄――姿の放浪の旅の最中です。
55歳です。
そうそう、N君とは、西山勇太郎という人です。
寺島珠雄さんが『西山勇太郎ノート』を書かれましたが、当然のように私の手元にはもうない。
そんだけ。