まんざい

 
「え~、漫才の骨董品」の砂川捨丸師匠。

むかし、民衆(まぁ、普通に生きて人たちです)の唄だった「祭文」は、近江の八日市江州音頭を生み

出します。

江州音頭は、琵琶湖の流れに沿って淀川を下り、今の大阪は摂津市辺りで砂川捨丸師匠が生まれます。

そんなわけで、捨丸師匠の芸歴はこんな感じ。

祭文→江州音頭→万才→漫才。

でも、捨丸師匠は「漫才」という言葉が嫌いだったらしい。


桂米朝の『上方芸人誌』を読んでたら、「漫才」についてこう書いてた。

「その当時流行っているものは、何でも取り入れるというのが漫才です。民謡が流行ったら民謡。安来節

が流行ったら安来節浪花節が流行ったら浪花節。映画が流行ったときは映画が大事な材料になりまし

た。その前は歌舞伎でしたし、新国劇が流行ったら、みんな新国劇の{月さま雨が」の真似をやり、新派

が流行ったら『女系図』の真似、『金色夜叉』の真似、歌謡曲なら歌謡曲、いまはテレビの人気番組で

す」これは、1978年に出版された本です。


で、漫才の「伝統」って何やろ?と疑問に思ってたことが何となくわかってきた気もする。

漫才は「時代」を食って生きていくもんだということ。

その、担い手は捨丸師匠にみるように、他の芸能から入ってきた人たちだということ。

振り返って今、漫才師は最初から漫才師としてスタートしている。

つまり、他の芸能がやせ細ってきているのやないか?と思うたのです。

だから、漫才の「伝統」みたいなもんが、なくなっているような感じがするのやと思う。


私の好きなジャンルは、漫才・ジャズ・プロレスです。

どれも「比類なき」ものです。

型とかルールはもの凄く緩いです。

例えば、プロレスがやせ細ってきているのも、他の格闘技が落ちてきている、というかプロレス化してい

るからではないだろうか?ということです。

ジャズはどないなってんのやろ?


もうちょっと考えてみたろ。


そんだけ。