財 布

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オカンの財布です。

今から40年も前に、プロレスラーの吉村道明からもらったと聞きました。

吉村道明は、私にも懐かしいレスラーです。

2003年の2月、76歳で亡くなられております。
 ※「日刊スポーツ訃報」→http://www.nikkansports.com/jinji/2003/seikyo030215.html


昔、オトンがコックとして働いていたキャバレーで、オカンも皿洗いとか、そんな下働きしていたのです

が、たまたま客で来た吉村道明が、食ったものに感動したらしくて、財布の中身をオトンに、財布をオカ

ンにくれたという話らしいです。


この財布、二年半前から私が持っております。

オカンが、うまく動けなくなってからです。

何とかしてくれと電話があったから、帰ってきたわけです。


動きが不自由なオカン&起きたきりのオトン&もう一人ビョーキ男の3人と私。

ごくごく普通の事として、家事全般、モロモロを肩代わりしてきました。

別に使命感や義務感でもなくです。


そうして、二年半が過ぎたわけです。

少しずつ、環境が変ってきました。

右に置いていた物は、私の都合で左に置かれたりします。

気がついたら、家庭内の時間も、私を中心に流れるようになってます。

私は私で、だんだんと、たいして意味のない、義務感や責任感を増幅させ、家族のありとあらゆるを、私

に集中させたりもします。


そうでなければならないという強い気持ちは、逆に家族に、そうしなければ、私の機嫌を損ねるという恐

怖心を生んできます。

時に声を荒げる私に、私の顔色を伺いながらの生活を送るようになります。

私は、さらに細かな事柄まで手を出し、徐々に家族の自立心を奪い、強い依頼心を植え付けて行きます。

そして、その果てに、家族は命と等しい年金すら、私に差し出そうとしたりもします。


こうして

近隣からは、孝行者と見られ、家族も私に感謝しつつも、ついには、善意な支配が完成するのです。

そこからは、何も生まれることはないです。


私にしたら、人間は誰もが、生きてること自体で、迷惑かけてる思うてますから、気にせんと自分を全う

してくれたら、そんでええのですけど。






と思いながら書き込んでおります。


人間やっていくんは何かとヤヤコシイです。


どっちゃにしろ、「自分が居なくては」と思うようになると、ロクでもないのです。



そんだけ。