死亡推定日
たしか?<HOMICIDE(殺人)>の項は、「正当と認められる」から「許されざる殺人」までの四段階に区
分されていた。
それで、最後にこう書いてある。
この分類は、法律屋が役立てるためにあるので、殺される当人には何の関係もない。(うろ覚え)
殺人というわけではないが、最近そんなような言葉を発した気もする。
「お前、それ生き残る側の理由やんけ!死んでいく者になんの関係もないやん!」と、そんなことを言っ
た気がする。
再開発がダラダラと進んでいるけど、昔のように一気に進まない。
だから、まばらに土地が更地になっている。
建っていたものに、とくに思い出もないけど、そこにあるのが当たり前だったから、急になくなると、
「ん?」となってしまうのだ。
<「生きているということは、ほかの人の死ぬのを知ることなのだ」とさえ思うのである。>
深沢七郎は『流浪の手記』で、そんな事を書いているけど、そんなんやなぁと思ったりもする。
しかし、しばらくの間の話だ。
少しすると、新しいビルを通り過ぎた時、ここ、前は何やったかなぁ?と、なかなか思い出すことが出来
なくなったするのだ。
「北山の滝」さんの記事に『死亡推定日!?』というのがあった。
やってみた。
診断書 -------------------------------------------------------------------------------- ●●さん(本名)は45歳でその生涯を閉じます -------------------------------------------------------------------------------- 既に死亡していてもおかしくありません。
という結果だった。
もう死んでるらしい。
「お前は、もう死んでいる」ケンシロウにそう言われたら、「ビデブー」と叫びながら破裂して、死んで
いったりもするんやろうけど。
あいにく、私は大阪人。
「うそぉ?ほな、今晩、みっちゃんと盆踊り行かれへんやんけ!」と言い返すしかないのだ。
暑いなぁ。
そんだけ。
●<死亡推定日>はこちら→http://seibun.nosv.org/sibou/