『どうすればいいのか』

 

 彼は、もしワイマールの王室でピアノを叩かなければ、野に出て麦笛を吹くであろう
                               
                                     -M・シュティルナー

しつこく、辻潤のエッセイ集を追っかけます。


『どうすればいいのか』は、昭和4年(1929)4月の発行されてます。

辻潤、三冊目のエッセイ(か、どうかわからんけど?)集です。


辻潤は、パリから帰って大岡山に住み、酒盛りの日々を過ごしております。

ほとんど仕事をしてませんので、秋には大家から立ち退きを迫られ引っ越したりの生活です。


ほな、今日も引用だらけです。


 一切は生きてる上の話だ。

  僅か今から百年も経てば、現在地上に蠢動している生物、少なくとも人間はみんな消えてなくなっ

 てしまうことはまずたいていまちがいがなさそうだ。
 
 死んでしまえば今日死んだ人間も、百年後に死ぬ人間もつまりは同じ事になってしまう。

 世に中で一番確かなことといえばまずそのくらいなものだ。

                         …『にひるの泡』(あわはサンズイに區)

引き続いて

 自分は人間の幸福の第一条件を、無知と健康に還元使用と思います。

 従って私は近代の文明生活を如何なる方面から見ても謳歌することは出来ません。

 人間は自分が万物の霊長であるなどというとんでもない妄想を抱くより、まず自分が哺乳類の一種

 であることを自覚した方が余程ためになります。

 ですから人間が動物らしく生きれば生きるほど無理がなく、自然に健康に無邪気に生きることが出

 来るのだと考えています。

 もちろん人間は猿でもなく、犬でもないことはわかっています。

 しかし、自分が動物だということを忘れてはいけません。

                             …『どうすればいいのか』

もういっちょ!

 人は彼のなることの出来る者になる。
 
 生まれながらの詩人でも色々な不利な事情に妨げられて彼の時代の最高水準に立つことが出来ない

 ようなことがあるかも知れない。

 偉い詩人になり、完璧な芸術品を生み出すに欠くべからざる勉強をする機会を得ない場合があるか

 も知れない。

 しかし、とにかく彼はたとえワイマールの宮廷で生活するにしても、あるいは一人の百姓にしても

 詩をつくるであろう。

                             …『無信条に生きる』


最後の「とにかく彼はたとえワイマールの宮廷で生活するにしても、あるいは一人の百姓にしても詩

をつくるであろう。」は、冒頭のシュティルナーそのものです。

ただ、辻潤を通すと、実にわかりやすくなります。


ようするに「」が違う。


たったそんだけの事です。


たいしたことやないです。




そんだけ。