辻潤の「大阪」

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というても、たいした事やないです。
 
辻潤が書いたもので「大阪」がでてくるものを抜いてみただけです。

 大阪へ初めて行った時に、牡蠣船でどてやきを初めて食ってまったくこれはうまいと思った。

 焼き豆腐と芹を入れて食うのだが、あとでダシを釜飯にかけ、海苔と山葵を掻きまぜて食う味は

 まったくたまらない。

 大阪というとすぐ私はどて焼きを連想する。『続水島流吉の覚書』


 自分は関西の方へ旅行をする度に感じることだが、どうしても自分がかれ等と同じ人種だとは考え

 られない。(もちろん一般的にいっての話だ)第一言葉のアクセントから受ける感じだけでも随分

 違うと思う。

 昔、フェニキアあたりの商業人種があの辺に移住したのではないかなどと自分は時々そんな風に考

 えてみる。 『のつどる・ぬうどる』


写真は、『辻潤著作集/別巻 年譜』からのものです。

<流寓中、大阪にて(粉浜の岩崎邸、昭和12年頃)とあります。

【辻潤年譜】によりますと・・・
一九三七(昭和一二)53歳(54歳)
 二月七日ころから四月八日まで、鳥取県東伯郡西郷村の前田洞禅(朝陽)住職の日照山極楽寺に滞在。
 極楽寺を立ち神戸、須磨、岡山、呉、広島、岩国辺りを転々流寓。
 四月の末から大阪の布施延雄方や岩崎鼎方に寄寓。
 六月四日 京都市内を菅笠、垢だらけの洋服、女日和下駄姿でうろついているところを西陣讐察署に一 日保護される。

といった具合です。



ところで、牡蠣の土手鍋が食いたい



そんだけ。