ゆ~もれすく

 
脳味噌の中で「ゆ~もれすく」を繰り返し聴いた。

風が強かったり、小雨が降ったりもしたけど、日差しは春だし桜も咲いてる。

今日は電車に乗って、爺さんの最後の場所だった病院に行ってきた。


鞄の中には、いつものように講談社文芸文庫の「辻潤」が入っている。

私が「辻潤」を読むは、本を読むというより、酒を飲むというのとほぼ同じ。

ポケットに忍ばせた「辻潤」を飲んで、しばらくを気持ちよくしているような具合だ。


ユーモレスク諧謔、道化、冗談、ユーモアなんて意味らしいけど、辻潤ドヴォルザークの「ユーモレ

スク」と書いている。

  題だけは例によって甚だ気が利き過ぎているが、内容が果たしてそれに伴うかどうかはみなまで

  書いてしまわない限り見当はつきかねる。

  だが、この題を見てドヴォルシャックを連想してくれるような読者ならまず頼もしい。でなけれ

  ばクウイエトえんでふわらん。(『ふもれすく』)


・・・「クウイエトえんでふわらん」はさっぱりわからん。大阪弁でないのはたしかだ。


『ふもれすく』を読んだ。

辻潤伊藤野枝のことを一回きりで書いたものだ。

  強情で、ナキ虫で、クヤシがりで、ヤキモチ屋で、ダラシがなく、経済観念が欠乏して、野性的

  であった――野枝さん。
 
  しかし僕は野枝さんが好きだった。野枝さんの生んだまこと君はさらに野枝さんよりも好きであ

  る。野枝さんにどんな欠点があろうと、彼女の本質を僕は愛していた。先輩馬場孤蝶氏は大杉君

  を「よき人なりし」といっているが、僕も彼女を「よき人なりし」野枝さんといいたい。僕には

  野枝さんの悪口をいう資格はない。


なんて書いてある。


  人間の命は左程ながいものではない。だから愛する人々よ、-お互いにツマラヌ意識はヌキに

  して、愉快に呑気に金などが少々なくともジプシイの如く快活に、-食えなくなったらクヨク

  ヨせず、遠慮せず、もってる人からもらうことにしよう、-

  名声とか地位とか、わけても文壇意識などというケチ臭い物などは、それらの旧い一切の衣物な

  どは一切サラリと投げ棄てて、天皇陛下の万歳を唱えながら、明るく愉快に生きようじゃありま

  せんか、みなさん!

  人間の、生物の不幸は汲めども尽きはしない。いくら考えたところで始まらぬ、-私は絶望の奈

  落から、かくの如きダダの自覚を獲得したのであります。またいずれ…
                                -きゃぷりす・ぷらんたん


辻潤伊藤野枝のことを書いた、その題名が『ふもれすく』であること。


きょう、何とのうそれを辿れた気がした。



そんだけ。