ガタロと康成

 
落語「代書屋」にガタロという商売が登場する。

ガタロは八百八橋の大阪らしい商売。年がら年中、川の中に入って鉄屑や貴金属を集めて売るわけやね。

小さい頃、ガタロは私の耳に入ってたからそんなに遠い昔の話しでもない。

♪がたろ横丁で行き暮れないて♪フランク永井の「大阪ぐらし」が昭和39年(1964)やから、私にガタロ

は違和感はない。

関係いないけど、これ歌えます。

    あぁかぁい~夕映えぇ 通ぅ天閣もぉ~
    染めてぇ 燃えてる夕陽丘よぉ~
    娘なりゃこそぉ意地かけまするぅ~
    花も茜の夾竹桃ぉぉぉおおお

    ・・・ご静聴ありがとうございました。m(_ _)m


でもガタロにはもう一つ意味がある。

大阪で河童をガタロという。

織田作之助天王寺の上汐町で生まれるも、父の商売の失敗で旧東区東平野町の長屋に移る。

その辺りは河童(ガタロ)横丁と呼ばれていた。

そんな事で、太宰が桜桃忌であるように、織田作之助は「がたろ忌」と呼ばれているらしい。


ところで、織田作が生まれた上汐町は近鉄の上六の近鉄劇場から近い。

こんど、近鉄劇場跡に新歌舞伎座が移転する。


歌舞伎ではないけど、織田作之助武田麟太郎西鶴の流れを汲むとし、川端康成梶井基次郎近松

と見る。そんな捉え方もあるらしい。

私は、西鶴近松を深くは知らないのですが。


その川端康成明治32年(1899)年の今日生まれている。天神橋の近くで。


そんなに読んでもいないけど、川端康成の少年期は寂しい、哀しいという感じがする。

本を読む気持ちが出てきているので、川端康成による現代語訳『竹取物語』を読んでみよ思う。

川端康成は、『竹取物語』を「立派な小説として見たい」、「この超自然な不自然なことを、作者は何の

疑いもなく平気で堂々と平静に書いている。それはおそらく古代人の太い神経のお陰であろう。」と言っ

てるそうだ。


なんでか知らんけど、昨日から右奥歯が疼く。

仕事の段取りもはかどっていない。

歳もあるやろけど、体使った仕事が出来ない体になってもうて口惜してならん。


そんだけ。