小さな国家

部分【再上映】であります。

ビンボーもビョーキもハンザイも寄ってたかって「家」の中に閉じ込めようとしますなぁ。

そっから、何が出てくんねん?

アホの私には意味がわからんです。

はい。

 
  小さな「国家」

 だれにとっても家族とは、わたくしごとであり内的なものである。その家族を「国」を構成する単

 位としての「家族」として位置させ、日本独自の「国家」なるものを作り上げ、その家族の戸主を

 「家父長」として天皇制と直結させて家族の上に権限を揮わせる一方でその家族の生活、行為に関

 する一切の責任を持たされ、統治の末端を担わされたのが明治憲法下の家族制度である。

 かくて赤軍派学生の一人の父親を自殺に追い込んだ民衆の目は、いまも一人の人間を個として見る

 目を養い得ぬままテレビに釘付けにされている。

 皇族やタレントの家族に極悪人が出てこないのと同じように、ホームドラマにも「悪人」はでて

 こない。いささかの「少女A」は登場するが、すべて教師や家族の「善意」によって「善人」とな

 るか、ひどい「悪人」は断崖から落ちて死ぬという仕組みである。

 軍拡や行革が強行され、不況が進行する中で、いま中曽根によって「家庭基盤の充実」がいわれる

 ことは、福祉切り捨ての予告であり、老人、子ども、障害者、失業者を「家族」の責任に帰してい

 くことである。

 それとともに「犯罪、非行」の真の原因を顧みることなく、この政治貴任をも「家族」に転嫁しよ

 うとする策謀の表れである。「家庭基盤の充実」ではなく「個人生活基盤の充実」が実現されては

 じめて、人と人(親子、夫婦、兄弟姉妹も)は解放された関係で結ばれるのだと思う。

                            ー伊藤ルイ『必然の出会い』より。


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