ぬくもり屋
まぁ、今もそやけど。
ぬくもり屋という字面だけなら心温まりそうな商売があったらしい。
始まりは、大阪駅付近をねぐらにしている連中が、寒さしのぎに木ぎれを集めてのたき火。
当然だけど人が集まる。
そうなるとタダで火に当たらすのもと金を取り出した。
1時間5円、1晩10円、飯ごうで飯炊き2円で、なんと煙草に火点けるのも50銭。
昭和20年の大阪は冷え込みがきつかったそうで、大繁盛だったらしい。
そんな具合に、戦後はひたすら落ち目の三度笠状態だった大阪が一晩でわけわからんまま息を吹き返す。
1950年の今日、朝鮮戦争が勃発した。
そんだけ。
もはや、「東京に対する大阪」といった二項対立はない。 近代日本に植民地化された「大阪」は、少なくとも日本全体がアメリカによって占領され、殖民地 化された時に、解消されたのだから。むろんそれはもっと広い帝国主義-植民地の版図の中に、大 阪が包摂されたということにほかならない。 「大阪」がないように、「日本」もない。西鶴の描いた「大阪」も、戦争中の日本人が必死の思い で作り上げようとした「日本」も、もちろん、その解放や独立や共栄を日本人たちが鼓吹した、 「大東亜」というものもなかった。 その絶望感、デカダンスは織田作之助を最後の「神風」特攻隊として、戦後において自爆せしめた のかもしれない。 -川村湊『大阪という植民地』より