本や本屋

昨日、人に会うために三年ぶりに京都に行った。

少し早めに出かけて、阪急烏丸からうろつく。

伝統芸能の河原書房はケータイショップになっていた。

山の専門書店、海南堂もなかった。

ミレー書房もパンツ屋に変わっていた。

ここは終わりの方では日共関係の本と絵本とエロ本が共存していたという。

そろばん屋も萬字堂もない。

オーム社駸々堂京宝もない。

丸善もない。

薄っぺらい商業ビルに変身していた。

せめて、ビルのどこかに檸檬のオブジェくらいつけてて損はせんように思うたけど。

記憶をとどめる為にも。

そういえば、丸太町の青木書店はコンビニになったという。

版元の方でも、「世界の詩」の地味な装丁が記憶にある彌生書房も活動停止と聞いた。


私の親も、そして私もいずれは消えてしまうように、消えていくことに文句はない。

ただ新たに生まれるものへの関心は薄い。

消えていく物だけに心が動く。

そういう歳になったということなのか?

いや、むかしからそういう所はあった気がせんでもない。


人にあって呑みながら少し話した。

しばらく京都に用はなくなった。

ん?

京都の方から、お前に用はないわい!と言われたかも知らん。

どっちゃでもええけど。


三月書房に行けなかった。


寺島珠雄著「南天堂:松岡虎王麿の大正・昭和」3500円を買いたかった。
 

また、どっかで行きたい思うてる。


そんだけ。