酒を呑む

 
酒を呑む。

ビョーキ男と酒を呑む。

毎日、夕方の6時過ぎから9時くらいまでチビチビやる。

私は合間にも呑んでたりするけど。

立て続けに両親も逝ってしもうたから、今は男二人。

だから飯は適当にして、私は肴をけっこうまじめに用意してやる。

あとは、阪神の試合があれば言うことはない。


ビョーキ男はもともと無口な男だ。

むかし、満州からひきあげた両親が炎天下で肉体労働をしてた時、母親の背中で泣き声一つ出さなかった

という。


ビョーキ男は悲しいことがあって家庭をなくし、実家に帰って20年以上になる。

実家に帰ってからのビョーキ男はけっこう働いてた。

ただ、一切世間を無視した。

そして、過度の飲酒は結果的にビョーキ男の体と心を、世間を渡り歩くには少し不自由にした。

だから私は、「見届け人」として実家に帰ってきた。

両親がビョーキ男を世話出来なくなったから、両親自身が老いて不自由な体となっていたから。


ビョーキ男の酒は無口だ。

呑んで、ときどき思い出したようにボソボソと話す。

それは話があるから話すでなく、私への気遣いのように思える。


酒は

酔うは

必ず快感であるわけではない。


酔うことで、曖昧な自分はますます曖昧なものになり、そんな具合に更に曖昧となった自分を拡散して行

くことで、かろうじて自分をこっち側に留めているような気がする。


ビョーキ男は、量が入ると「もうどうでもいいや!」状態になる。

他人からみれば醜態にしか見えないであろう。

しかし、ビョーキ男の「もうどうでもいいや!」は、投げやりではあるけど、根っこで他人を愛おしく思

っているのだ。

オレのことはもういいから!とでもいうように。


曖昧な自分を絶対と思い、酔う前から酔いしれて体力勝負で酒を食らう。

そんなのがますます増殖している。


ビョーキ男みたいに、淋しい酔っぱらい方をする男をみることも少なくなった。


含羞。



世間の時間が私の身の振り方についての判断を迫っていた。


ビョーキ男の見届け人を全うすることと決めた。


それは、ビョーキ男が単に私の兄だからではない。



時間を、大阪で「日にち薬」という。


日にち薬。


それは、時間が記憶の形を変えてくれるまでのことを言うのだろうと思う。




そんだけ。