今年こそ嫁に・・・

 
明日は七夕。

一昨日からオトンとオカンを思いださんとしょうがない作業があった。

それは生き残った者の努めやし。

そういえば、去年、オカンが入院してた病院の七夕。

【早く嫁に行けますように】・・・そんな短冊があった。

そのオネイサンは無事に嫁に行ったんやろか?

私はこんな具合な事を書く人が大好きだ。

サバイバーズ・ギルドという言葉があるけど、私には、生き残りの贖罪感という方がわかりやすい。

今年は、オトンもオカンもおれへん。


生まれてこなければよかった!


そんなん言うても、生まれてきたのだ。


しゃぁない。


まぁ、エエ加減でも死ぬまで生きるのだ。


▼自分は出来るだけ明るい気持ちをもって、なるべく他人の邪魔にならないように、自分の好きな事をし

 て、出来るだけこの世を楽しみセイゼイ長生きをした上で死にたいと思っている。その他に別段たいし

 た理想もない。但し、どんな事をしたらそんな風にうまくゆくかと考えてもよくはわからぬ。

 だから、大体、そんな方針で、毎日の風の吹きまわしに従って色々とやってみるより特別な手段も今の

ところはない。

▼一切は「生きている」上の話である。死んでしまえばニヒリズムもアナアキズムもアブの頭も、蜂の尻

尾もヘチャモクレもあったもんじゃない。

▼僕は人間が「万物の霊長」だなんてことは信用することが出来ない。

同時に、若しこんな愚劣な人間な どと云う物をこしらえた「神」などと云うものがあれば、それこそ

人間以上に愚劣だと云っていいだろう。

▼僕等は与えられた、あるがままの条件と事態の中から、なるべく、自分だけ都合よく生きてゆきたいと
 
思うのだ。みんな各自が自分ひとりだけ満足に生きられたら、同時に世界中の人間が満足に幸福になれ

  ると云うものだ。

いくら、他人が幸福になったところで、自分が不幸なら、世の中は永久に不幸なのだ。


以上、辻潤『絶望(ですぺら)の記』より。

美しい心を持ったマトモな人間が、マトモに挑んだら、自死か狂うしか道がないような、そんなこの世

で、辻潤が、無気力な捨てセリフを吐き散らして生きた姿勢に私は共感する。


わかるというのはおこがましい。



そんだけ。