節に節なし、節に節あり
酒と煙草。
どっちもやめれん。
今日は、酒やめとこ思うて頑張ることはある。
そうすると夜中寝れん。
やっぱり飲まな思うて12時頃から飲み始める。
つくづくアホやなぁ思う。
12時から飲み始めたら、午前3時くらいまで飲まなアカン。
そんなことやったら、早よから飲んでた方がよっぽどケンコー的やなぁ思うたりもする。
通ってる病院のセンセも酒と煙草はやめと言う。
「センセ、つき合いちゅうもんがありますやん」
「おぉ、そうか。で、酒はわかるけど、煙草のつき合いってどんなんやねん?初耳やなぁ」
「いや、あの、ほれ、このぉ・・・お世話なってます。ささ、まずは一本ゆうて・・・」
横でオネイサンが笑いこらえてたなぁ。
こう暑いと、合間合間にちょこちょことビィル飲んでたりするけど、ほとんど汗で流れてしまうと思いき
や、だんだんと酔いが溜まってくるのがわかるのが今くらいの時間でおます。
はい。
桂米朝の『上方芸人誌』を適当に読んでた。
広沢瓢右衛門のところが、私自身が好きなんで、やっぱりしいちばんオモロイ。
瓢右衛門師匠の門付けの思いで。
食えない日が続いたらの質問に・・・
「何だんねん」
「ころは元禄十四年」
「あんた、何やねん」
「へえ、お金たのんます」
「あっち行きなはれ」
「ころは元禄~」
では、続いて広沢瓢右衛門伝説の一曲『雪月花三人娘』の一節を同じく『上方芸人誌』から。
薔薇のかんばせ月の眉、お国名物黄金の髪に波打たせ、こうもり傘で陽をさけつつ飛んできました 二人の女。 生まれはアメリカ・ニューヨーク。目下、神戸海岸居留地で、夫はヤソ教の宣教師。あまりの暑さ に耐えかねて、娘を連れて布引の滝に涼んだ戻り道。 このありさまを一目見て、可哀相じゃ助けてやろうとそばに寄る。 ああアメリカと日本と、洋に東西隔てはあれど、人の情けに変わりない。 岡山辰の肩を叩き、助けてやってくださいよと英語でペラペラしゃべるけど、辰にはちょっとも判 らない。 判ることばは兵庫神戸の「なんぞいや」
浪花節は「ええ節やなあ、たまらんなあ」というのとちがうんです。一席聞いてそこに泣き、そこに歌
の妙諦ですねん。なんや百万禅師のようですけど。(広沢瓢右衛門)
浪花節。これを引き継ぐ芸能は今あんのやろか?
そんだけ。