浪花のクラプトン
夏休みに入ったけど、子供の声は聞こえん。
子供の数が減ったのもあるけど、この頃は妙な棲み分けが完成しつつある気がする。
子供は子供の場所、大人は大人、病人は病院、年寄りは介護施設、こぼれた者はひっそりと家の中。
そやから、一つの場所にいろんなものが重なっているような豊かさはない。
薄っぺらい街と薄っぺらいニンゲン一丁上がり!のような感じがする。
その当時流行っているものは何でも取り入れるというのが漫才です。民謡が流行ったら民謡、安来 節が流行ったら安来節、浪花節が流行ったら浪花節。 映画が流行った時は映画が大事な材料になりました。その前は歌舞伎でしたし、新国劇が流行った らみんな新国劇の「月さま雨が」の真似をやり、新派が流行ったら『女系図』真似、『金色夜叉』 の真似、歌謡曲なら歌謡曲、今はテレビの人気番組です。 けれども、漫才は時代時代の流行を追いかけていきますから、漫才と切っても切れんというものは 時代とともに変わっていきます。 漫才は出てきたころ、いろんな芸のええところを全部取っていきましたが、結局、全部なくしてし もうた。みんな個人的なものに終わってしもうたんです。 漫才という芸自体がそういうものなのかもしれません。つまり、個人の味を百パーセント出すもんやか ら、伝えようがなかったともいえる思います。
米朝の『上方芸人誌』読み終わった。
ところで、宮川左近ショーの話がコメントにありました。
そのメンバーの一人やった浪花のクラプトン=暁照夫さんの三味線です。
4分過ぎ辺りで、舞台でセッションやってはります。演芸場にいた年配のお客さんのノリに小屋の力を感
じましたです。
これは<リクエストによる埋め込み無効>処理がなされてますので、直接どうぞ。
オモロイです。
ニオカ
・・・ちゃう
モナ
・・・ちゃう
ほな。