ニンゲン廃業
二ヶ月に一回の定期検診に行く。
ここは爺&婆&ビョーキ男が救急車で運ばれたり、入院もしたりの病院でもある。
家族ぐるみのつき合いゆうことになるんやろなぁ。
センセに軽口ゆうて薬もうて買い物しての帰り、唐突に空が暗くなって、可愛げのない雨におうた。
バケツをひっくり返した・・・では月並みやし、どう言えばええんやろ?と考えながら歩いてたので、し
っかりずぶ濡れになってもうた。
おら、この世にうまれてきた。育ちも、頭も、器量も悪か。不運といえば、不運かもしれん。 努力が足らんといえば、足らんかもしれん。 学校にも行けなかった。十四から働き出し、十六の時軍属として、戦争にも行った。 いうなれば、陸軍に少々ばい。戦争にツン負けて、マライの奥地で敗戦ば迎えた。熱帯潰瘍、マ ラリア、赤痢、肺病にも罹った。 復員したものの、両親も死んでしまい、おらが長男だけん、幼いきょうだいたちば養わなきゃいか んというのに、南方ボケ、敗戦ボケ、病気ボケから、気ぬけになってしまい、どうしようもないけ ん、おのれの口減らしからと家出した。ちゃんとした職につけるはずがなく、ぶらぶらぐらしをつ づけとる。・・・おらみたいなでけそこないでも、夢はあるとたい。子供のころから忍術使いにな りたかったばい。いまも、そうたい。 -高木護『忍術考』
こないだ、高木さんの同書から「はあ、親がつけてくれたのがあるとです。でも、わたしはなんだろうか
と思っとるうちに、判らんごとなってくるとです」を書き写した。
道ばたの石ころや、青天井の下で走り回る犬のようになるには、どないしたらええのか?
そんなことばっかりおもうてる。
名前を持つ限り、それは無理やろというのは何とのうわかる。
だから、この際ニンゲン廃業したら、そういうのは解決するんやないかと思うてる。
お前、それでもニンゲンか!なんて台詞もあるけど、そんなのは、ニンゲン社会のルールを逸脱した時に
言われる言葉でしかない。
法律も常識も、そんなんは作った奴が守ればいいので、私の知ったことやないのだ。
お前、それでも生命か!と言われる覚えはない。
道ばたの石ころや、犬や猫や・・・ん?家禽ばっかりやから蚊やゴキブリもいれとこ。
そんなんと同じになろう思うたら、ニンゲン廃業しかないと思うてる。
そこまで行けば、右も左も中道も、神も仏もカンケーないやろ。
そうとう、きつそうではあるなぁ。
うん。
ところで、辻潤は「いざとなったら乞食にでもなる」とゆうた。
知性を捨てることは出来へんかったから。
そう言ったのは、高木護さんだった。
そんだけ。