さかのぼる

 
朝、テレビで北京オリンピックの開会式の様子を観る。

気持ち悪い。

べつに北京オリンピックに限ったことでもないけど。


   征服の事実がその頂上に達した今日においては

   階調はもはや美ではない。美はただ乱調にある。

   階調は偽りである。真はただ乱調にある。

大杉栄の『生の拡充』の一節を思い出す。



今年は爺&婆の新盆。

私はただ今無職で行くとこもないから、爺&婆も逝ったというアノ世を思い出そうとしている。

私もそこから来たはずだから、ニンゲンの記憶よりずっと先まで遡れば思い出せるはずだ。



大泉黒石の『老子』読み始める。

大泉黒石の『老子』は相当に売れたらしい。八十版、百版を重ねたと言う。

「それから、今度は、大泉黒石氏の『老子』だ、新光社からそれが出て可なり当たると、「春秋社」から

同じ著者で『老子とその子』が出るという段取りだ。商人に抜け目のない事は言ふも野暮が、が、誇大な

広告に釣られて、実物を見てから呆れ返らない読者が幾人あるであろう。もっとも、大泉氏の『老

子』を私は読んでないが」と中村星湖は堂々と書いている。

おいおい、読んでないんかい!


文壇、爆弾、青年団とおよそダンのつくものにロクなものはない・・・と黒石は書く。


そんだけ。



     わたしのいのちは

     わたしのもの

     わたしのものだから

     わたくしして自由にして

     わたし自ら

     わたしのいのちを裁き


     わたしはいのちを売って くらす
  
                   -高木護