ちんこのまじない

 
え~、本日も中吊り広告ふうタイトルで行ってみました。

中吊りと同じく、タイトルだけで中身は薄いです。

はい。


ちんこのまじない猫のくそ


こんな具合に言うそうですが、私は記憶があるような、ないようなです。

ちちんぷいぷいと同じ意味合いの言葉のようです。
 ちんこのまじない猫のくそ。

 ちちんぷいぷい、痛いの痛いの遠くのお山へ飛んで行け。 

 痛みを和らげるまじない文句。指先に唾を付けて傷口を撫でる。近畿一帯で使う。 

 中国の神様の「鎮宅霊神」の「鎮宅」が「ちんこ」に。 

全国大阪弁普及協会ではそう書いてあります。

講談社学術文庫の『大阪ことば事典』に詳しいことが載ってたはずなのでこんど確認しときます。


ところで、歩いて五分の区立図書館には当然のように<大阪コーナー>があります。

これを制覇したろ思うてます。


少し前の大阪の代表選手に、花登筺的な世界がありました。

『細腕繁盛記』やとか『どてらい男』やとか『あかんたれ』とかとかです。

大きな成功とは言えないけど、中小企業的な成功物語のような気がします。

で、バブル崩壊以降は大阪も落ち目の三度笠で中小零細は潰れる一方です。

その辺りから、大阪で全国区的にのし上がってきたのが「お笑い」です。

大阪の売りが<根性>から<アホ>に変わったわけです。

根性は好きちゃいますけど、かなりひどいことになってる気がします。


今、大阪弁が受けているのはTV的な共通語が全国制覇をしたからや思うてます。

共通語と大阪弁が内戦状態にあった頃は…70年代はまだそうだった覚えがあります…大阪弁は差別と偏見

の対象であり、抹殺すべきものでありました。

これは他の方言でもそうですけど。

つまりは共通語が完全制覇した状況で、大阪弁も含めた方言は人畜無害な言葉に成り下がったかもです。


木下順二の『夕鶴』は、つうだけは標準語で、与ひょう以下は方言という台詞構成です。

標準語でしか行くことの出来ない世界があるようです。


世界、愛、神、私・・・。


標準語は、生身の自分からずいぶんと離れたもののような気がしております。



ほな。