世のまがい者

 
先週の夕刊に『曾根崎心中』の完本が近松研究所で公開されるとあった。

曽根崎心中』の完本は、今年の夏くらいに富山県黒部市立図書館の寄贈本の中から見つかったもの。

・・・関係ないけど、織田作の『夫婦善哉』のぜんざい屋のお福人形(初代)も富山の美術館にある。
   富山もやるなぁ。


近松研究所は園田学園女子大学の中にある。

テニスの伊達公子園田学園高等部の卒業生。

そんな園田学園は尼崎にある。

尼崎。

忍たま乱太郎』の尼子騒兵衛も尼崎。

幻の醤油『尼の生揚げ』も尼崎・・・尼でカツアゲちゃいます。

大島渚が好きやという焼き肉屋もある尼崎。

日本一短いコースの園田競馬場も尼崎。

タイガース定期貯金の尼崎信用金庫も当たり前に尼崎。

懐かしい「パルナスピロシキ」が食える店があるのも尼崎。

白い巨塔』で証言台に立つ男の住まいが尼崎。財前は夙川で、もう一歩で芦屋という土地。

中島らもも尼崎。

車谷長吉の『赤目四十八瀧心中未遂』も尼崎・・これがなんで「直木賞」なんかいまだにワカラン。

島木譲二も尼崎。

近松の墓も尼崎の広済寺にある。


前フリが長かったけど、園田学園内に近松研究所があるのも、広済寺に墓があるからかも知らん。

いま尼崎の電話局番は06で大阪市とおなじだけど、近松の時代は大阪-尼崎の距離感はどんなやったろ

うと思ったけど、その頃も今と変わらんようだ。

広済寺のHPにそこいら辺りの事が書いてあった。

ついでに、谷町と尼崎の両方に近松の墓があるについての考察もあった。



そんな近松の辞世文。

だいぶんと前に読んでから頭に残ってる。

 代々甲冑(かっちゅう)の家に生まれながら、武林を離れ、三槐九卿(さんかいきゅうけい)に

 つかへ、咫尺(しせき)し奉りて寸爵(すんしゃく)なく、市井に漂(ただよう)て商買(しょ

 うばい)しらず、隠に似て隠にあらず、賢に似て賢ならず、ものしりに似て何もしらず、世のまが

 いもの、

世のまがいものがノー味噌に貼付いた。

近松はんは享保九年(1724)の11月22日逝った。七十二歳。

近松は現代訳でしかよう読まん。


そんだけ。


●廣田隼夫さんによる辞世文も現代訳はこちらに→http://homepage2.nifty.com/hay/zisei.html