行き暮れて・・・

 
メガネを変えたので、字が見やすくなった。

理解度は変わらんけど、とりあえずうれしい。

さっそく、こないだ古本で買った織田作之助の『わが町』を読んだ。


『わが町』には、主人公のベンゲットの他ぁやんこと佐渡島他吉と同じ長屋住まいということで、『夫婦

善哉』の蝶子と柳吉も登場する。

夫婦善哉』が1940年で、『わが町』が1943年執筆となってる。

だんだん世の中ヤヤコシクなってきて、センソーなんかでブンガクが肩身の狭い思いしてたまるかい!

と織田作奮闘中の作品かも知らんです。


そうそう、『夫婦善哉』の続編が見つかって、完全版ちゅうのが出てます。

メガネも変えたことやし、そろそろ読まんとアカン思うてます。



織田作の上の二作とも国家とか覚悟とかそんな言葉があちゃこちゃ飛び交うようになった時代です。

今もそんな感じになっとるけど。


   行き暮れて ここが思案の 善哉かな


これは、法善寺横町にある織田作の句碑に書かれたものですけど、『夫婦善哉』の続編で、織田作が行き

暮れた先をどないに思うたのかわかるかも知らん。


夫婦善哉』、『わが町』とも映画になってます。

豊田四郎監督の『夫婦善哉』は1955年で、川島雄三監督の『わが町』は1956年。

これは東宝の『夫婦善哉』が当たったので、日活も織田作ものという目論見やったかどうかはわからんで

すけど、そんな感じがします。


川島雄三と織田作の関係は深いようです。

川島雄三のデビュー作『還ってきた男』は織田作之助の原作で、二人はそれからの付き合い。

『わが町』の次の年に川島雄三は『幕末太陽傳』撮ってます。


森繁久弥は、『夫婦善哉』で日本の喜劇人に<森繁病>のようなものを生んだと小林信彦は書いてます。

それ言えてるなぁと思うので、ありえん事やけど、もし川島が『夫婦善哉』を撮ってたらどんな具合やっ

たんやろ?と思うたりもした。

川島の『わが町』を観ると、余計にそう思う。

織田作は『夫婦善哉』で大阪の下町を描く作家のような所に飾れれるようになってもうたけど、川島はそ

んな描き方はしてない思う。



ただ織田作本人は、そんなことにお構いなく1947年1月10日に亡くなってる。

1月10日は大阪は十日戎

商売繁盛で笹持って来い!の日やがな。



そんだけ。