暦を酒屋が持ってきた

 
こないだ酒屋が来年の暦と酒粕持ってきた。

いつものように、暦は3枚で、酒粕は飲んでる焼酎よりはるかに上等なん。

「お互い、2年続けて賀正ラベルのビィルなしやなぁ」と、ちょっとだけしみじみする。


その暦のこと。

この前『大阪図像学ー近世の庶民生活』というのを読んでたら、こんなんに出くわした。
 太陰暦は・・・二、三年ごとに必ず一回の閏月を置かざるべからず。其閏月の年は十三ヶ月より成

 れるを以て、其一年だけは、俸給・諸給の支出額、凡て平年に比して十二分の一を増加せざるべか

 らず。・・・其十二分の一の増加を要する閏月ある年は、正に明年に迫れり・・・

                                ー『大隈伯昔日譚』
明治新政府で改暦の責任者だった大隈重信の書いたもんです。

明治新政府は、はじめは旧幕時代そのままに年俸制で給与を出してたけど、明治4年9月からは月給制に

変えたそうです。

そうなると、太陽太陰暦のままやと、閏月のある年は1年に13ヶ月分の給料を出さんとアカン事になって

もうて、ただでさえ台所事情が苦しいのに、そらもうエライことになるわけです。

そんなことで、太陽暦への移行は逼迫する財政危機打開策の一つとして明治五年末に実施されたらしい。


明治5年の12月3日を明治6年1月1日として、日本の暦は太陽暦グレゴリオ暦に移行します。


もちろん、改暦は欧化政策の流れに沿ったもので、新政府の台所事情は政府が改暦に踏み切る事情の一つ

というようなことやけど。


で、暦が変わって何がどないやねん?については昔の記事に続きます。



ほな。