やちょう

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え~と、前にも紹介したこの写真です。

右が辻の潤さんで、左の筒井康隆の親父みたいな人。

この人は中西悟堂


どっかできいたことある思いながら放ったらかしにしてました。

正月にノーミソがいちだんと酒に浮かんだとき思い出したのです。



図書館が休みなもんですから、持ってる本(ほとんどない)とネットで調べました。

やっぱり中西悟堂野鳥の会でした。

私はいまだに予断と偏見の塊みたいなオッサンなんやなぁ思いました。


こんな感じでイメージ重ねることが出来へんかったのです。


 世界が今後コンピュータによる情報社会となればなるほど、人間はひまにならず却って多忙と過労

 に追い廻されるだろうと私は思う。反対に機械革命が将来人間に莫大な余暇を与えると仮定しても

 その余暇は私共がいま常識としている余暇とはまるで異質の余暇、すなわち地獄に隣接する暗黒の

 余暇かもしれぬという予感は、すでに現在の事象の中にもちらちらしている。それが福祉と平和の

 道をどんでん返しにするかもしれない。あるいはいま、人間は人間以外のものになりつつあるのか

 もしれない。


こんなこと書いてはります。

これは、松岡正剛の『中西悟堂/かみなりさま』に引用されておったものです。

とりあえず、中西悟堂の『かみなりさま』読みたい思うたです。



それより、寺島珠雄の『南天堂』を早よ買わんとアカンなぁ。




ほな。


松岡正剛/『中西悟道・かみなりさま』→http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya1247.html