厳寒は裸の旬である

 
「厳寒はハダカのシュンである」。これは中西悟堂の『ハダカ哲学』の書き出し。

実際に五十を過ぎてから、悟堂さんはハダカ暮らしを始めた。

朝のハダカ歩きについては、地元の警察署長に確認をとったりもしている。

「どこまでのハダカなら軽犯罪法にかからぬか」

股間と臀部を露出しなければ宜しい」

「平民的にホンヤクすると、マタグラとシリをむきだしにせねばよいと受け取れる。そうでしょうか」

「その通り」

「すると、つまりサルマタさえはいておればよいんでしょうな」

サルマタではチトひらひらしましょう。半ズボンぐらいははくほうがよくはないかね」

そんな具合にして警察の公認を得て、ハダカ歩き、ハダカ体操、ハダカ座禅の毎日を送るようになったの

が、悟道さんが五十代の頃。

買い物に行くために服を着てると、巡回のお巡りさんに「今日は盛装ですなぁ」と言われるようになった

とらしい。

イメージ 1写真は、1964年の秋。世田谷は砧を走る悟堂さん満69歳。
後ろの自転車の人は娘さん。
・・・中西悟道『かみなりさま』より。


そんな悟堂さんが、野鳥探索に必要な事柄として三つをあげている。

①脚力の強いこと②寒さに強いこと③空腹に強いこと。

野鳥探索は「手頃な装備で、一定の日程を山小屋泊まりで歩くという遊びの山入ではない。夢中で鳥を探

ねているうちには方角も地図も駄目になるかも知れないという山入なのだ。」と書く。

悟堂さんにとって、鳥は野鳥である。


鳥は空間生活者であり、渡り鳥は地球規模生活者である。鳥は野にあるべし、鳥は野鳥であるべし


野鳥の会の根っこは、こんな具合なもんやったそうや。


ニンゲンも野にあるべし!やろなぁ。やっぱり。



小鳥らが夜明けの空を過ぎゆくを重大事のごとく目守(まも)りてゐたり(中西悟堂



関係なく、しばらくの間せわしない毎日が続いたりする。



ほな。