八 百 卯
ここでちょっとその果物屋を紹介したいのだが、その果物屋は私の知っていた範囲で最も好きな店 であった。そこは決して立派な店ではなかったのだが、果物屋固有の美しさが最も露骨に感ぜられ た。果物はかなり勾配の急な台の上に並べてあって、その台というのも古びた黒い漆塗りの板だっ たように思える。何か華やかな美しい音楽の快速調(アッレグロ)の流れが、見る人を石に化した というゴルゴンの鬼面――的なものを差しつけられて、あんな色彩やあんなヴォリウムに凝(こ) り固まったというふうに果物は並んでいる。青物もやはり奥へゆけばゆくほど堆(うず)高く積ま れている。――実際あそこの人参葉(にんじんば)の美しさなどは素晴(すばら)しかった。それ から水に漬(つ)けてある豆だとか慈姑(くわい)だとか。 -略- その日私はいつになくその店で買物をした。というのはその店には珍しい檸檬(れもん)が出てい たのだ。 -梶井基次郎『檸檬』より
この『檸檬』のモデルとなった店「八百卯」が閉店したとあった。
東京は現在に生き
京都は過去に生き
大阪は…とりあえずその日を生きる。
そんな具合に思うてたけど、何かと変わりつつあるんやろか?
深い所の京都は変わってない思うけど。
なくなった丸善には思い出すこともあるけど、八百卯にはない。
八百卯がなくなったのを知ったのは、「三月書房」さんの記事で。
事で外出することが多く、またしばらくはビョーキ男と籠もる生活となるので行けそうにない。
本は出来たら、新刊か古書店で買うか図書館で借りるようにしてきた。
ガッコーに行かんかったから、本読むゆうても、何を読んでええかわからん時、何軒かの書店の棚は先生
のような具合やった。
棚がそんな具合に構成されてる書店をみることも少ない。
そんなことで、本をはじめてネットで買った。
さっき届いた。
そんだけ。