檸檬と大ざえもん

 えたいの知れない不吉な塊が私の心を始終圧(おさ)えつけていた。焦躁(しょうそう)と言おう

 か、嫌悪と言おうか――酒を飲んだあとに宿酔(ふつかよい)があるように、酒を毎日飲んでいる

 と宿酔に相当した時期がやって来る。それが来たのだ。これはちょっといけなかった。

これは、ごっくん中川さんのボヤキではなくて、梶井基次郎の『檸檬』の書き出し。

梶井基次郎明治34年(1901)の今日、2月17日に大阪は西区の土佐堀で生まれた。

ちなみに亡くなったのは昭和7年(1932)の3月24日で死因は肺結核。享年31歳。

3月24日は檸檬忌とされている。


kobatyouさんは『檸檬を認めない人』の中で、島崎藤村梶井基次郎の『檸檬』を認めなかったのは、梶井本人

を見て別人と疑った?と書いてるけど、冗談やろなぁ。

梶井の風貌と作品については、<ゴリラ 檸檬>検索で最初にヒットした書評『梶井基次郎がどうにも好きになれ

ない人に宛てて』で、「梶井基次郎はゴリラだ。気はやさしくて力持ちな男なのだ」と書いてる。

これ坪内祐三の『まぼろしの大阪』の中で、織田作之助梶井基次郎高見順の叙情の違いを書いてると

紹介してたけど、その内容と重なる気がする。

こんなの。

 織田作之助は、梶井基次郎の叙情と東京出身の高見順の叙情の違いを比較している。つまり梶井の

 叙情には、「耳かきですくうほどの女々しい感情も見当たら」ず、その叙情の底には「不逞不逞し

 いばかりの勁さ」が「根強く流れている」のに対して、高見順のそれは「まわりくどい女々しい」

 叙情であり、その違いは「梶井氏が大阪の人であった」から「驚くべき逞しい健康な生活意慾をも

 っていた」ことに由来する。・・・(『まぼろしの大阪』坪内祐三より)

織田作は、西鶴以後もっとも凄い大阪の作家は梶井基次郎とどっかに書いていた覚えがある。それと『我

が文学修行』の中で、26歳になって本格的に小説修行を始める以前に読んでいた作家ととして「ドストイ

エフスキイやジイドや梶井基次郎など」としている。

織田作は梶井より12歳年下。

二人とも三高に進むけど、酒に浸り胸を病み落第を重ねる辺りは似ている。


急に話は変わるけど、梶井基次郎というと忘れられない人がいる。

大ざえもんさん。

私がブログを開設した時に、kobatyouさんと同じくして「お気に入り」登録をしてくれた人でもある。

その大ざえもんさんの書いた、梶井の『交尾』を元にした、河鹿の交尾とそれを見詰める梶井のイラスト

が忘れられない。

人の暮らしは毎日少しずつ変わっていくけど、どうか達者でおってくれとときどき思う。


少し風邪がよくなって、風邪薬も飲んでないので今日辺り、私もごっくんしようかと思う。

辞任はせんけどね。


ほな。