きねとら
読み手に負荷をかけて(多分)解放します
kobacyouさんのブログ『負荷』の紹介文にはこんなことが書かれている。
ブログは2007年の8月15日を最後に更新はされてはいない。
そんなんで、私は負荷をかけられたまんまでおます。
今回、NONAJUNさんを焚付けてkobachou祭りをやってもらうことにした。
ちょっとだけスケベな気持ちがあって、天の岩戸をやろうとしてる所はある。
たしか去年やったか、訪問者履歴に足跡があったけど、本人かどうかはわからんままだ。
とにかく<祭り>であって、<負荷忌>ではないことだけはハッキリしてる。
私も、なんかワカラン事があると、ごく普通にネット検索をして調べたりする。
この二つの特徴は、昔のTVで『知ってるつもり』ゆうのがあったけど、そんな感じ。
読んでナルヘソと思うけど、そんだけで終わってしまう。
kobacyouさんの書庫にもぎょうさんの作家やなんやらある。
私は織田作をはじめとして、その時々に、まずはkobacyouさんの記事を読んだりしている。
そこには、輪切りあり~の、賽の目切りあり~の、短冊切りあり~の、千切りあり~のする。
そやから、「知ってるつもり」で終わらずに、何かと考えてしまう。
これがkobacyouさんの負荷ゆうことになんのやろ思う。
そやそや、タイトルの件書いとかなアカン。
私は、2006年の3月くらいからkobacyouさんのとこに出入りするようになったんやけど、その頃の名前が
「きねとらや」ですねん。
どんな字かというと・・・やめとこ。
まぁ、そんだけのことですけど。
kobacyou祭りの前夜祭的に、私とkobacyouさんとの出会いを書いた。
次に何書くか?・・・どないしょ。^^;
ほな。