菜の花忌

 
『苛烈な夢』という社会思想社から出ていた文庫を買ったのは10代の終わりかそんなところ。


苛烈な夢?苛烈は厳しくて激しいやから、そんな夢て一体どないなもんやろ?と書名に惹かれて買った。


富士正晴と林不二馬の共著で、伊藤静雄の評伝。


パ・リーグの二軍のバッティング・コーチのような顔(kobacyou談)の伊藤静雄をそれで知った。


   秧鶏(くいな)は飛ばずに全路を歩いて来る


こんな詩を書いた伊藤静雄は、自ら飛ぶことを拒否したんやろか?それとも断念しんやろか?


住吉中学から戦後は阿倍野高校の国語教師として教壇に立ち、国文法の時間に「わたしにはお金がない」


と板書して品詞などの説明をした伊藤静雄は、生徒に「乞食」というあだなをつけられていたという。


飛ばずに歩く姿勢をとった伊藤静雄の断念がどんなもんやったか?


   (行つて お前のその憂愁の深さのほどに 明るくかし処(こ)を彩れ)と


伊藤静雄は、こうも書いている。


戦後肺結核となり、4年間の入院生活の末、昭和28年(1953)の3月12日。


つまり今日、伊藤静雄は死んだ。四十七歳。


菜の花忌というと司馬遼太郎を指す事が多いようだけど、伊藤静雄の命日も菜の花忌。



そんだけ。


パ・リーグの二軍のバッティング・コーチのような顔→http://uraaozora.jpn.org/ito.html