十三の●遊び

 
『電車唱歌(有馬箕面電気軌道)』

  ♪東風ふく春にさきがけて
    開く梅田の東口
    住来う汽車を下に見て
    北野に渡る跨線橋

  ♪業平塚や萩の寺
    東淀川の春の風
    十三堤の野遊びに
    摘むやたんぽぽ五行花♪


十三の野遊び。


大阪は十三も、大正の末頃までは田圃や野菜畑が広がって、小川が縦横に走って小舟が往き来し、あちこ

ちに森や林があるようなのんびりとした農村地帯やったそうです。

そんな風景の中、中津川(今の新淀川)の堤防には蓮華、たんぽぽ、すみれが咲きほこり、一面の菜の花

畑が続いて目の保養、摘み草で賑わい、緑の敷物に腰を下ろして重箱を広げ、ふくべを傾ける大阪市中の

憩いの場所になってたそうです。

これを、十三の野遊びと言ってたそうで、上に紹介した、有馬箕面電気軌道の電車唱歌の通りの風景があ

ったわけです。

こんなことが、三善貞司の『私家版 淀川三区稗史』に書いてあった。



『十三の夜(藤田まこと)』

  ♪庄内離れて三国を過ぎりゃ
   ネオンうずまく十三よ
   やけに淋しい夜もある
   娘ちゃん娘ちゃん
   十三の娘ちゃん♪


十三の夜遊び。


私が育ったころは、こんな具合やった。



ほな。