菜の花

 
諫早という土地を知ったのは、伊藤静雄がそこに生まれたから。
 
kobacyouさん曰く、パリーグの二軍のバッティング・コーチのような顔をした伊藤静雄
 
戦前は住吉中学で、戦後は阿倍野高校の国語教師として教壇に立ち、国文法の時間に「わたしにはお
 
金がない」と板書して、生徒から乞食(古事記)うあだなをつけられていたという。
 
 
行って お前のその憂愁の深さのほどに 明るくかし処を彩れ
 
 
こんな伊藤静雄の詩がある。
 
吉本隆明は「憂愁の深さのほど」を引き継いだのが島尾敏夫であり、「明るくかし処を彩れ」を庄野潤三
 
が継いだと書いたのを覚えている。
 
菜の花忌。
 
世間は菜の花忌というと、司馬遼太郎を思い出すのかも知れないが、私に菜の花忌は伊藤静雄
 
結核となり四年間の闘病生活の末、昭和28年の今日、四十七歳で死んだ。
 
 
そんだけ。