2013-03-12 菜の花 日々の何か #練習用 諫早という土地を知ったのは、伊藤静雄がそこに生まれたから。 kobacyouさん曰く、パリーグの二軍のバッティング・コーチのような顔をした伊藤静雄。 戦前は住吉中学で、戦後は阿倍野高校の国語教師として教壇に立ち、国文法の時間に「わたしにはお 金がない」と板書して、生徒から乞食(古事記)うあだなをつけられていたという。 行って お前のその憂愁の深さのほどに 明るくかし処を彩れ こんな伊藤静雄の詩がある。 吉本隆明は「憂愁の深さのほど」を引き継いだのが島尾敏夫であり、「明るくかし処を彩れ」を庄野潤三 が継いだと書いたのを覚えている。 菜の花忌。 世間は菜の花忌というと、司馬遼太郎を思い出すのかも知れないが、私に菜の花忌は伊藤静雄。 肺結核となり四年間の闘病生活の末、昭和28年の今日、四十七歳で死んだ。 そんだけ。