三冊買うた

 
三月書房さんのサイトで、高木護さんに関する本が続けて出たとあったんで注文した。
 
高木護短編集『川蝉』
 
     と

雑誌は『Myaku14号 特集・きみは、詩人 高木護を知っているか』
 
     と

『詩人 高木護――浮浪の昭和精神史』

の三冊。
 
 
 
ワテと辻潤を出会わせたんは、高木護さんの本やった。

辻潤-個に生きる』ちゅう、たいまつ新書の一冊。

今はない京都の駸々堂京宝店で買うた。

それで、辻潤ちゅう人に興味持って読み倒したわけです。
 

 
小さい頃、公園で遊んどったら当たり前やけど暗なってきて、一人また一人と帰ってもうて、親が迎えに来たりも
 
してた。

ワテは、家に帰っても親は夜中の12時過ぎでないと帰ってけえへんしするから、意地になって一人で遊んだ覚
 
えがある。
 
あんまし暗くなると公園は、大人のもんになるから追い出されて、ネオン煌く文教地区は十三のアチャコチャをう
 
ろついて、時々お巡りさんに保護された。
 
そん時、あぁ、これでうろつかんで済むとホッとしたのもホンマやけど。
 
高木護さんの本で知った辻潤は、そんな具合にワテに「もうええやん、帰ろや」というてくれたようで、うんと言うて
 
もうたような具合だ。

 
 
それから、辻潤のいろいろを読み進める中で、高木護さんの次のようなんが飛び込んきた。
 
 
 辻潤に、すてきれないものがあったとしたら、たった一つ、インテリゲンチャということだろう
 
 
そん時、ワテは高木護さんを通しての辻潤を知ったから気に入ってたんかも知らんと思うた。
 
辻潤のいう「ニヒル」。

 
なんや、辻潤はニヒルへの水先案内人ではあるけど、高木護さんはニヒルそのもののような気がした。
 

辻潤より高木護というようなことと違うて。
 
 

ほな。