こんなとこからはじめてみた

イメージ 1

そんなわけで四年目に突入。

どちらさんもおおきにです。

そんだけ。(2009.5.22)

 *   *   *   *   *   *   *   *   *   *   *   *


アホの一念というけど、三年目に突入です。

語呂から行くと、アホの三杯酒やらんといけませんので・・・そうします。

ブログを続けている間は、この日は一発目の記事を再掲載して手抜きしよ思うてます。



なにはともあれ・・・どちらさんもおおきにです。



   *   *   *   *   *   *   *   *   *   *   *   *  


『こんなとこからはじめてみた』(2006.5.22)


「その盲目の語学者がわたしに巣くってしまったのは、丘の松林のなかの、神殿のように床の高い古風

な教室においてであった」・・・足立巻一の『やちまた』は、こんな具合に始まる。



この物語は、本居宣長の子で盲目の言語学者本居春庭の評伝であるとともに、足立巻一自身の自伝的

作品でもある。

天皇機関説事件で世間が騒がしかった頃、神宮皇学館という国学の学生であった足立巻一は、講義の中で

ごく普通に本居春庭のことを知り、興味をもったので調べ始めたのだった。

『やちまた』は、足立巻一が<自分の中に巣くったもの>とともに生きてきた事の記録である。



話は変わるが、フランキー堺川島雄三の監督作品『幕末太陽伝』で、今後の自身の方向を見たと思っ

たのだろか?

肝心の川島は急逝する。写楽を題材にした、「寛政太陽伝」の構想メモを残して。

そこからフランキー堺は、小説「写楽道行」を上梓し、その映画化に1億5千万を投じたとされる。

それは、川島雄三の企画から三十数年後の話である。



そんなふうに、私に<巣くってしまった>ものがあるとするなら、辻潤だろう。

「一切は生きている上の話だ」と辻潤は言う。

他の誰かではなく、辻潤から発せられたこの言葉が、すとんと私の中に入って30年は経つ。

師匠と云うものが<この人ならどうしただろうか?>。その判断の指標であるとするなら、辻潤は私の師

匠と言えるかも知れない。



普通のおっさんである私でも『やちまた』のような方法でなら、辻潤を書く事が出来るかも知れない。

そんな風に思ったりしている。

まあ、元旦からはじめる日記のように最初から鼻息が荒いと続かないのも事実。

ぼちぼちとやろうかと思います。

・・・写真の人が辻潤です。