松本清張-『半生の記』のこと

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写真は『0の焦点』の舞台となった能登金剛・ヤセの断崖。


先だって、ある人のブログに「断崖絶壁が似合うのは、ニーチェ船越栄一郎か?」なんてコメント入

れた事がある。

TVの2時間サスペンス。一応、サスペンスなんだから殺人がないと駄目でしょう的な殺人がやたらと

目立ってくると、松本清張が何度も何度も登場する。


話は変わるけど、昔から小説家やゲージュツ家、革命家なんてものは、本人がそうであるすれば、そう

なのかも知れないというそんなところがある。ただし、生活の保証はその限りではないけど。


松本清張の小説家としての始まりは随分と遅い。

最初から小説家を目指したわけではない。実生活上の必要から、それで得られる懸賞金欲しさに書いた

作品でデビューした人であり、職業的作家(それで生業を立てるという意味)になるのは、50歳に近

い年齢だったとされる。

松本清張の小説家以前を自身が書いたもの、それが『半生の記』。

清張自身は、その後書に次のように書いている。


 
 連載中、編集部では私が小説家になったところまで書けといった。私は断った。理由は二つある。一つ

 は、私が最初から文学志望ではなかったため、いわゆる文学修行の話が出来ないことである。もう一 
 
 つは、私の人生は小説を書いて生活する以前の四〇歳過ぎまでであって、以後の十二、三年間はわず

 かな部分である。…『半生の記』より
 


『半生の記』の中でペンを失くした清張が、線路上をそれを捜し求める場面がある。

結局はペンは出てこなかったのだが、この場面でペンは作家の表現の手段としてでなく、職人の使う道

具のようなものとして象徴されているように思えてならない。

実生活上での苦労、社会的冷遇。例えば、朝日新聞の雇員時代の歴然とした待遇などについても触れて

いる。しかし、清張はそのような恨みつらみを、同じ心根を持つ人間の側に立って作品の中に取り込も

うとする。

そうする事で、過去の様々な経験が作家になるために予め用意されたもののように生きてくる。

たぶん、私が全何巻という作品の中で『半生の記』がいちばん好きな理由はここにあると思う。


鳥取県日野郡日南町矢戸は松本清張の父の出身地。そして、私の母親も近くで生まれている。

砂の器』の中の重要なポイント。東北なまりのような言葉遣いを私は実感として理解できる。母の口

調がそうだから。自民党の青木参議院議員の口調を思い出してもらえればと思う。