辻潤のイメージ

吉田喜重監督の『エロス+虐殺』に辻潤が登場する。

題材が、葉山の「日陰茶屋事件」だから当然だけども。事件は、大杉の妻の堀保子、同志の伊藤野枝、神

近市子との四角関係から、とうとう大杉が神近市子に刺されるというもの。

この事件の起こる前、伊藤野枝は辻のもとを離れ大杉のところに行っている。


映画では、岡田茉莉子伊藤野枝大杉栄細川俊之

辻潤が、高橋悦史

映画自体や高橋悦史を云々するのではないけど、私みたいに「辻潤」に関係している映画という観方をし

たものからすると、高橋悦史辻潤は違う。

そんなに、重々しいイメージはない。その内側はともかく、外側は物事にこだわらず、飄々として流れ歩

くようなイメージと思っている。

明日は明日の風に吹かれればいい。そんな感じのする、自由人だったように思う。


野枝が去って、息子のまことを抱えての辻は、どう見てもコキュの嘆き状態としか思えない。

1923年(大正12年)9 月1日。関東大震災。震災騒動の中で、野枝、大杉と大杉の甥の橘宗一が憲兵によ

って殺される。

辻は、それを放浪中の大阪で号外によって知る。


話は変わるが、辻潤の場合は放浪とするより、浮浪の方が適切かもしれない。その事はいずれ書きたい。


話を戻す。


辻は、その年の11月、『婦人公論』に依頼され『ふもれすく』を書く。


「僕は野枝さんが好きだった。野枝さんの生んだまこと君はさらに野枝さんよりも好きである。野枝さん

にどんな欠点があろうと、彼女の本質を僕は愛していた」。(『ふもれすく』より)


辻潤が、伊藤野枝の事を書いたのは、この『ふもれすく』しかない。

スチネリアン辻は生きていた。『ふもれすく』からの引用を続ける。


「僕のようなダダイストにでも、相応のヴァニティはある。それは、しかし世間に対するそれではなく、

僕自身に対してのそれである。自分はいつでも自分を凝視めて自分を愛している、自分に恥ずかしいよう

なことは出来ないだけの虚栄心を自分に対して持っている。ただそれのみ。もし僕にモラルがあるならば

またただそれのみ。世間を審判官にして争う程、未だ僕は自分自身を軽蔑したことは一度もないのであ

る。」(『ふもれすく』より)


いい加減に話がずれてきている。

谷崎純一郎の『鮫人』は辻潤をモデルにしているとされる。鮫人とは、男の人魚。

辻を鮫人とした谷崎。何となくわかる。人間で例えるものがなかったのか?


ところで、NHKで辻が「岡山の変態詩人」と呼んでいた、吉行エイスケの妻を主人公にした朝ドラが

あったが、そこで辻潤を演じたのは森本レオ

これは、もっとミスキャスト。

森本レオの奥さんが、東宝映画の「赤頭巾ちゃん気をつけて」でデビューし、将来を期待されていた女優

だったと記憶するけど、話が極端にずれたので強制終了。