『マルクスに凭れて六十年』

マルクスに凭れて六十年』岡崎次郎1984年、青土社

この本を読んだのは、書評とかそういう所からではありませんでした。

もし、岡崎次郎といいう著者が、あの岡崎次郎なら青土社からの出版はずいぶん奇妙に思えたのです。

岡崎次郎の名前は、私と同じか上の世代ならほぼ知っていると思います。『資本論』などのマルクス

解説、翻訳者として必ず名前の出てくる人です。



「いま私にとって問題なのは、いかに生きるかではなく、いかにしてうまく死ぬかである」

「せめて最後の始末だけでも自主的につけたいものだ」


岡崎次郎は『マルクスに凭れて六十年』にそう書いてます。

本書が出版された時、岡崎は友人知人にこれを配り、「これから西の方に行くと」言い、家財を整理しマ

ンションを引き払い、夫妻は西の方に旅立ったのです。

東京を旅立って四ヵ月後、大阪のホテルに宿泊した記録はあるが、その後の行方は不明とされてます。

1984年、岡崎次郎80歳の時。


1985年にはゴルバチョフ共産党書記長に就任。ペレストロイカ、グラスノチの始まり。

その二年後の東欧社会主義、さらにそれから二年後のソビエト社会主義の崩壊の引き金が引かれた。

マルクス主義は潮が引くように彼方に去り、ポスト構造主義ポストモダンの風潮が全盛となる。

その前年に岡崎次郎氏は消えました。


私には、自身がマルクスに凭れかかったとする人はマルクスに殉死したようにも思えたのです。

この本を読んだのは、遅まきながらの会社勤めにも慣れた頃。

物凄い誤読だとはわかってはいるのですが。

これからは、拙くても手探りでも自分で考えていくしかない。

やっぱり私は「ぶら下がり男」だ。それはもうあかんなと思った瞬間だったように思います。


ところで、私の周りのマルクスに生死を誓ったはずの人達のその後は・・・知らないです。


実はこれ書こうと思い書名検索していたら、太田出版webの書評が見つかった。

朝倉喬二の『行方知れずの経済学者夫妻』
http://www.ohtabooks.com/view/rensai_show.cgi?parent=5&index=2

ご参考下さい。