引用だらけで『唯一者』

「唯一者」という言葉は、辻潤シュティルナーを読む限りセットになってます。

しかし、この「唯一者」ってのがけっこう曲者でして、普通にイメージされるような利己主義、エゴイス

トとは違います。

以下に引用しているのは、私が「うぁ!」と叫んで書き写した記憶のあるものです。



辻潤

 即身成仏―とは自己を"as such"として単純に認識することである。一切の理想をかなぐり棄てた状態

 である。『ふらぐまん・でずされと』


<M・シュティルナー

 当の人間は、憧れの的である未来にあるのではなく、現に今ここに生存しているのである。たとえ僕が

 如何様にあり、何者であろうとも、悦びに溢れていようと、悲しみに閉ざされていようと、また子供で

 あろうと老人であろうと、安心していようと疑惑に陥っていようと、眠っていようと醒めていようと、

 僕はそれであり、本当の人間である。『唯一者とその所有』


<高木護>

 わたしは、流れ人夫であったので、さほど深いものや哲学的なこたえはいらなかった。人夫、それも流

 れの飯場や労働下宿の人夫を十五年以上もやっていると、「人夫」そのものが、一種の諦観であり、一

 つの哲学のような気がした。諦観、哲学なぞといっても、山道にころたんところがっている一つの石こ

 ろほどの意味でだった。そういう訳で、垢だらけの喜怒哀楽を通過したものや濾過したものが、少なく

 とも日常の重労働とショウチュウの上に胡坐したものが「個」、「無」、「自我」などというもののよ

 うに思われたからである。『一コの個』


「唯一者」もけっこうキツイです。ユメもチボーもあるかいなです。

でも、私は救われたように思いました。