大 泉 黒 石

ロシア文学と 大泉黒石

大泉黒石は明治26年(1893)生まれで、大正8年(1919)年に『俺の自叙伝』で文壇デビューする。 詳しくはわからんけど、ロシア語に堪能な作家としては二葉亭四迷以来ではないかと思う。 その黒石はゴーリキーの『どん底』を大正10年(1921)に東亜堂より…

最も売れた作品 『老子』 ― 即席の黒石⑤

怨みなさんなよ、悲しみなさんなよ、世の中には何も無いのだ。 そこには、酔っ払いと墓場の廃墟があるきりなんだ。 悲しみという奴がぽかりと落ちかかってきたところで、それが何になるものか? この移り変わりの多い世の中に、何ひとつ同じ姿のものはないの…

私は地球と心中しないものを捜しているんだ/即席の黒石④

大泉黒石が、戦後の昭和30年に俳誌「みづおと」に寄稿した『洋花』。 ちなみに、黒石の俳句も残っている。 嫌われて花になりけり野芹哉 七草の芹も、摘み取られることもなければ、当然花も咲く。 それを、人に嫌われて摘まれなかった芹が花になると詠むの…

作品『人間開業』のさわり/即席の黒石③

大泉黒石、辻潤、武林無想庵。 この人たちに共通するのは、知らない人でも知っているレベルの文豪の話の中に時々顔を出すのだが、そ の作品を見る機会があまりないことだ。 「稀観本の世界」というHPに三人とも掲載されている。まいったと言うしかない。 …

日本とロシア/即席の「黒石」②

「日本人が幾ら不逞思想の洋服を着て、危険哲学の靴をはいて、舶来の問題に熱中しようと、ひと肌脱げ ば、先祖代々の魂があらわれて、鼻の穴から吹き颪す神風に、思想の提灯も哲学の炬火も、消えてなくな るのだから世話はない」。 大泉黒石は日本についてこ…

大泉黒石の履歴/即席の「黒石」①

大泉黒石と辻潤は1916年(大正5年)に知り合っている。 辻が伊藤野枝に去られて、浅草で美的放浪者の生活を送っている頃のこと。 意気投合し、後には二人で組んで長崎へダダ派の講演旅行にも出かけたりしている。 その、大泉黒石の全集が緑書房から刊行…

実は読んでいないのだ、大泉黒石を

ある時期から、辻潤を外から埋めてみようと思ったことがある。 要するに辻潤に関する著作を片っ端から読んでみようキャンペーン。 谷崎純一郎『鮫人』、林芙美子『放浪記』、武林無想庵『むそうあん物語』・・・。 そんな中に、大泉黒石の『俺の自叙伝』があ…