最も売れた作品 『老子』 ― 即席の黒石⑤

 怨みなさんなよ、悲しみなさんなよ、世の中には何も無いのだ。

 そこには、酔っ払いと墓場の廃墟があるきりなんだ。

 悲しみという奴がぽかりと落ちかかってきたところで、それが何になるものか?

 この移り変わりの多い世の中に、何ひとつ同じ姿のものはないのだからね。

 友達にしろ、親兄弟にしろ、永遠の道連れというわけにはいかないのだ。

 まあお聞き、今、そうして様々の生活を送っているお前達だって、今に背中に羽が生え 

 て、いつの間にか、どこかへたった一人で飛んで行かねばならないのだからね…

                               ― 大泉黒石老子』 より


辻潤の「いっさいは生きてる上の話だ(にひるの泡)」と通じるような気がする。


大泉黒石全集の中心的存在だった由良君美コリン・ウィルソンの『至高体験』の訳者でもある)によれ

ば、『老子』は黒石の中で最も世間的な成功を収めた作品らしい。80、100版を重ねたという話もある。

しかし、文壇は黒石を<大衆作家>としており一切の評価をしなかった。

ひどいのになると、読む意味も無いとして、読みもせず評論を書くなんてのもあったらしい。今でもあり

そうな話だけど。

黒石が「文壇、爆弾、青年団とおよそダンのつくものにロクなものはない」と書く気持ちもわかる。

しかし、文壇ぶら下がりよりも、官憲の方が鋭く、黒石にの著書の中でも珍しく伏字の多い作品になった

そうだ。

大正3年の第一次世界大戦、6年のロシア革命、7年の米騒動…という社会情勢の中で、老子思想と独自

ニヒリズムから肉付けした黒石の創作も危険視されざるを得なかった。


東洋の生んだ最も深遠なアナーキズム思想家、老子辻潤もそんな事を書いていた。


余談だけど、『老子』出版記念講演会。辻潤も出演予定だったが禁止となっている。

老子。私にはよくわからない。由良君美によれば黒石の『老子』は、司馬遷の『史記』を踏まえているこ

と、また全編に頻出する水のイメージは老子の核心に触れているとする。


大泉黒石の『老子』の巻頭には二つの引用がある。

一つはトルストイからのもの。

もう一つは、路加伝からのもの。

それぞれに、書き写しておく。


 老子が言うように、人は水のようでなければならなぬ。障碍のない時水は流れるが、

 堤防に出会うと水は止まるし、また堤防が破れると水は再び流れ出す。四角な器の

 中では四角になり、円い器の中では円くなる。これ、水が何物よりも一層多くあり

 必要であり有力である訳なのだ。(リヨフ・トルストイ)  


   百合はいかにして育つかを思え  労めず紡がざるなり。 

   我汝等に告げん。

   ソロモンの栄華極みの時だにも

   其装いこの花の一つに及ばざりき。(路加伝第十二章二十七節)