蛸の嘆きとバールの悲しみ

昨夜、酔っ払いのおっさんが喚いてた。酔っ払いの喚き声も久しぶりに聞く。

「アホ~、ボケ~、カス~」と大阪標準の台詞連発。

頑張ってるなあと思っていたら、急に「この、タコがぁ~」と叫んだ。

それから気になって寝れなくなった。

なんで「タコ」なんやろ?「イカ」では駄目なんだろうか・・・。

もぞもぞと起きだして調べた。

頭の格好から、坊主を蔑んでいう言葉というのがあった。

多分、これだろう。


バールというものがある。

バールのようなもので開けられた後が残されており・・・」なんてニュースで言われる。

そのバール。

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ニュースで聞くたびに「バールのようなもの」の正体が知りたくもなる。


「あんこ」と大阪では言います。「ニコヨン」といった方がはやいのか。

ようするに日雇い労働。これをやってたことがある。

最近の「請負・派遣労働」の先祖みたいなもん。


派遣は日雇いでしかない。

「請負・派遣労働」が社会的格差というものとセットでニュースとなっている。

どうも、この国ではドヤの労働形態が一挙に広がったようだ。


<強制労働の廃止><雇用及び職業における差別待遇><最悪の形態の児童労働禁止>。

ISOの認証が言われるけど、日本はまだILOの重要な三条約すら批准していないはずだ。

請負・派遣という名の日雇い労働。

身を粉にして働けば働くほど、新しい貧乏が生まれてくる。この貧乏が日々作られるという仕組み今に始

まったことではない。→http://blogs.yahoo.co.jp/tei_zin/14652220.html


立場が不安定な「バールのようなもの」の数がどんどん増えてきている。

その存在が利益を生むシステムとして固定化しつつある以上、若干の是正はされるも、今後も残っていく

だろうと思える。


社会的立場というものがある。仕事でも当然ある。

大きかろうが、小さかろうがA社に勤めているとか何とかという立場はある。

バールのようなもの」の請負・派遣労働のものには、それはない。


選挙権というものの中では平等でも、現実の市民社会では平等ではない。みたいなことをマルクスが書い

ていたが、それだ。

全てにおいて平等ではあるが、現実の社会的立場はそうではない。


バールのようなもの」はどこに行くのだろうか?

宗教か?政治か?

どちらも、いまや資格と審査が必要なもの状態だ。金も要る。

その立場を獲得する事で、どこかに帰属しているものと対等もしくは優位に立てるもの?

愛国心」という言葉で括られるものに流れ込んでいるように思ったりしている。