藤原定家

新古今集断想 ― 藤原定家安西均


  「それが俺と何の関りがあろう? 紅の戦旗が」

 
  貴族の青年は橘を噛み蒼白なる歌帖(かいえ)を展げた

 
  烏帽子の形をした剥製の魂が耳もとで囁いた

 
  燈油は最後の滴りまで煮えていた

 
  直衣の肩は小さな崖のごとく霜を滑らせた

 
  王朝の御所の夜天の隅で秤は徐にかしいでいた

 
  「否(ノン)! 俺の目には花も紅葉も見えぬ」

 
  かれは夜風がめくり去ろうとする灰色の美学を掌でおさえていた

 
  流水行雲花鳥風月がネガティブな軋みをたてた

 
  石胎の闇が机のうえて凍りついた

 
  寒暁は熱い灰のにおひが流れていた

 
  革命はきさらぎにも水無月にも起ろうとしていた。




<俊頼髄脳:藤原定家の古写本発見 重文級の資料か>
  →http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/wadai/news/20060810k0000m040154000c.html


冷泉家藤原定家の事が記事になるたびに、この詩を思い出していた。

「革命はきさらぎにも水無月にも起ろうとしていた。」だけしか思い出せない。

歩いて五分の区立図書館に行ってみた。

奇跡的に、よれよれの思潮社「現代詩文庫」があったので控えてきた。


百人一首」つながりで、やはり全部を思い出せない吉原幸子を探したがなかった。

だいたいに、現代詩のアンソロジー的なものがない。

茨木のり子詩集は沢山あった。好きではあるが突出して多かった。


大阪というコーナーもあるが、亡くなった支路遺耕治は置いてない。

支路遺耕治さんの、詩集『疾走の終り』(1969)は、自分の失踪の始まりみたいなもんやった。

シャレやない。


歌手の歌詞みたいなのはぎょうさんあった。

歌詞と詩はちがうと思うてる。


それはそれとして、吉原幸子の詩はこんなんやったはずや。

  一じょうの罪に一じょうの罰 そんなちょうどよくてたまるものか
  
  せっかく こころをふるわせて 犯した罪が

また調べたら書こうと思う。


どんどん忘れて行く。

どうでもいい事を覚えてるのだけが特技やったのに。

・・・いまだに全部覚えてるのは「六甲颪」だけや。




安西均http://www.city.chikushino.fukuoka.jp/furusato/sanpo52.htm