稲垣足穂・・・辻潤を語る

ここにある一代の審美的存在、辻老が見本である。


唯美主義者の結果はとはかくの如しで、しかしかくの如くでなければ本物だとは云えないのである。


[ロマンシズムとは没落するものだよ]これは、ロマンチストを標榜して自身はいっこうにそうでない


趣味の士、いわゆる文壇墨客の現代的亜流なる佐藤先生(佐藤春夫)のいつかの言葉であった。・・・


辻潤らその他一般審美的存在の意義について、私はそのうちに研究を発表するつもりである。

                               ―『 唯美主義の回顧 』より


稲垣足穂が始めて辻潤と会ったのは。二十歳をすぎた頃。

師の佐藤春夫と神楽坂下を歩いていた時に出会った。

擦れ切ったトンビ合羽をきた、貧乏エビスのようなその男が辻潤と知り驚いたとある。

足穂はすでに辻の翻訳による『天才論』、『阿片溺愛者の告白』を読んでおり、自分の気質に合う、そ

の本の訳者の名は知っていたのだ。

それから、関西から牛込横寺町路地裏の三畳に越して来た足穂の住まいを、辻は足繁く通う。

無論、互いに認め合うものがあってである。

辻は夜の一時、二時頃に足穂の住まいに現れ、茶碗蒸しで一杯やりたいの、板ワサがどうの、いったい

鮨というものは…というような話ばかり。

しかし毎晩決まったように二、三冊仕入れてきては、狭苦しい部屋の隅に積み上げている。その古本の

英書は、どれも無気力な一隅の唯美主義的文学と哲学ばかりであった。

その姿を見て足穂は、自分が今日までやってきたことの空しきこと、そして結局何にもならなかったこ

とを痛切に思い、辻と会う事をやめた。

辻の飲酒癖を困ったものと感じていた足穂。だが数年後には足穂自身が壮絶な酔っ払いとなる。


稲垣足穂のHPというのがありました→http://homepage3.nifty.com/beatles/taruho/disc/index.html

はい。