『伊豆の踊り子』を読んでたりする

区立図書館は家から五分のところにある。

図書館がむやみに近いから、今のところに住んでるのではない。

図書館が勝手に近くにやって来ただけのこと、しかし便利はいい。

図書館の近くにスーパーとコンビニもあるので、本棚と冷蔵庫はいらない。


そんな話は置いといて。


小さい頃、「おばけ(さらし鯨)」を旨いとは思わなかった。

三十すぎて、酒でも飲むようになってくると急速に旨いと感じるようになった。

逆に小さい頃、美味しくて「死ぬほど」食いたいと思ってたものを旨いと思わなくなったりする。


そんな話も置いといて。


歩いて五分の図書館から、河出書房の『カラー版日本文学全集22・川端康成』を借りてきた。

読んでない『伊豆の踊り子』や吉幾三は登場しない『雪国』、『山の音』なんかが収録されている。

『山の音』は、読んだことがある。読んだことがあるという記憶があるだけが正しい言い方。

その頃、私には川端康成は「おばけ」状態だったのかもしれない。

表紙を開けるとカラーの川端康成が正座してこちらをアノ眼で見ている。

名人といわれているけど、そんなに面白くない落語の大御所にしか見えない。今のところ。


そんな話も置いといて。


律儀に、最初の『ある人の生のなかに』から読んでみる。

「御木麻之助は、夏は五時に起き、冬は七時に起きる。春秋はその中間と思えばいい。」と始まる。

すごいなあ。

途中でロンブローゾの「天才論」の話が出てたりもする。


そんな話も置いといて。


編者の意図か?作品が新しいものから古いものという並べ方になっている。

『ある人の生の中に』→『山の音』→『千羽鶴』→『雪国』→『伊豆の踊り子』→『十六歳の日記』。

正直に読み進めると『伊豆の踊り子』に辿り着けそうもないので、次に読んでみようと考えている。

踊り子が全裸で手を振る場面があるらしい。それが目的ではないけど、少し気にはなった。


そんな話も、以下省略で。


味覚は変わるから、昔の味で判断するのはあきまへんなあ。

「おばけ」やない、川端康成が美味しかったりする。




なんでガルシア・マルケス