萩原朔太郎・・・辻潤を語る

<朔太郎の辻潤への手紙>

御手紙うれしく拝見いたしました…日本の現存する文学者で、僕の敬意を表する人物は、漸く四五人に

しかすぎませんが、大兄もその一人で日本に於ける稀なる存在として、特別に敬愛をもつものです。…

思想上や感覚上で、深く文学上の一致と友情を感じるものは辻潤一人です。大兄とはいつも逢いたく…

目下僕の生活は親がかりで、一つも自由がありません。



逆に辻潤は朔太郎をどう評価していたか?

『虚妄の正義』の著者朔太郎は、かって『新しき欲情』それは、僕の数年来の愛読書であるが故に、巴

里の客舎においても亦しばしば、それを繙読(はんどく)したのである。君は現在の日本における詩人

として何人を最も高く評価するかと問われたら、僕は、なんらの躊躇することなく、萩原朔太郎と答え

るであろう。


まだ朔太郎が無名の頃である。

しかし、無名な存在であろう彼よりも、恐らく「昨日まで、一管の尺八を携えて乞食を業とし、つねに

他人の財布によって終日飲酒に溺没せる?」無能無頼なるダダイスト辻潤のほうが、遙かに有名なので

ある」なんて辻潤は書いてたりしている。


朔太郎は辻の宗教的人格の裡に深く内在していた「純粋さ」が、彼の悲劇の出発点となっていた事を指

摘し、なぜに辻潤が「低人教」を説くに到ったか、そしてまた、なぜに日本の既成文壇や、低俗なイン

テリ層が、彼を「アナーキスト的無頼漢」として葬り去って顧みなかったかを憤怒を込めて述べてもい

る。いずれにしろ、逆に朔太郎こそが辻潤の才能と魂の発見者であり、詩人の直感で、辻の真価を見誤

らなかった稀な人でもある。


その朔太郎は親から「お前は一生飼い殺しにしてやる」と言われたらしい。

こいつはすごい。