小田原の山内我乱洞さんいわく、辻潤はシソーカではないよ

ここからの話は、高木護さんが我乱洞さんの所に、「辻潤」の取材に行ったときのやりとりをまとめてみ

たものです。


<山内我乱洞、辻潤を語る>


辻はシソーカではないよ。辻は誑しだな。

彼は思想家だったが、彼自身は、自分を思想家だとは思ってなかったのではないか。

思想は売り物ではなく、毎日生きているための生き様の糧というか、オレからしたらペンキや筆のような

もので、土方からしたらツルハシやスコップのようなものだ、と思っていたのではないか。

あの人は洒落やちゃらんぽらをいったりやったりしていたが、根はきまじめな人だった。

照れ屋だから、ものごとを一々正面向かってやるのが苦手だったんだろう。きまじめや照れから、あの人

のぶらぶらはうまれてきたのではないか。

思想は独りのもので、一人の役にしかたたないというのだろう。

では「自我教」とか「ですぺら」は何かというと、あれは辻潤だよ。読みたいやつが読めばいいのだよ。

あの人の「自我」や「個」は、オレたちの何倍も強烈で、比べてみても比べ物にはならないが、あんたに

もオレにもあるよ。そのそれぞれの「自我」や「個」こそ、それぞれの思想ではないか。オレならオレの

自我や個で、しゃんとしろというのだろう。

オレがあの人を「シソーカではないよ」といったのは、そこら辺にごろごろしている思想屋と一緒くたに

してもらいたくなかったからだ。彼は自分のぶらぶらから、「自我教」を編み出した思想家以上の思想の

人といいたかったからだよ。


誑しといったのは、「いや、ぼくの書いたものは雑文で、世の中誑しです。人間誑しですよ。」と押しか

けてきた辻ファンの若い男女に、辻潤自身が言ったものだ。

オレが辻に、誑しとはどういう意味なのかと聞いたら、「こんな僕を生かしてやっている処世術みたいな

ものだよ。」と彼は答えたのだ。自分を誤魔化すというのではなかろう。自分に言い聞かせるということ

かもしれない。

働かざるもの食うべかざるというけれど、辻の話を聞き、彼の坊さん崩れみたいな顔を見ていると、財布

の紐が解けてくるのだ。
                   ― 山内我乱洞(『辻潤―個に生きる(高木護)』より




山内我乱洞という人は、看板は描いたけど文章を書いた人ではないです。

小田原の10人の子沢山の看板屋として全うされた人のようです。

たしか、我乱洞さんの評伝みたいなものが出版されたように記憶してますが、手元にはありません。

ネット検索でも見当たりません。たぶん、虚無思想研究会からだったと思います。

山内我乱洞さんの幼友達に作家の牧野信一がいました。→http://uraaozora.jpn.org/makino.html

そうした交友関係と、本人の読書好きや世話好きもあって、辻潤坂口安吾など我乱洞さんの所に居候に

なった作家も数多いと云われてます。


山内我乱洞さん。こんな人に出会うとうれしくなります。


余談ですが、作家の全集なんかに写ってる写真にこんなのがよくあります。

前列左から●●、▲▲、一人おいて、■■・・・。

その<おかれた一人>に興味がいってしまうのであります。


なんでか知らんです。