市井の中の辻潤

彼の周囲にはいつも市井のルンペンや労働者が集まっている。

人生に敗惨した失職業者や無職者は、彼によって自分の家郷と宗教とを見出すのだろう。耶蘇の弟子たち

が漁師や乞食であったように、辻潤の弟子もまた市井の「飢えたるもの」、「貧しきもの」の一群であ

る。彼は此等の弟子たちに囲まれながら、絶えず熱心に虚無の福音を説教している。しかし耶蘇のような

態度ではなく、エルレーヌのような酔態で、ヨタのでたらめを飛ばしながら、説教する。そこで彼の弟子

たちは不敬にも師のことを「辻」と呼びつけにし、時には師の頭を撲ったりする。これは不可思議な宗教

である。

これは、萩原朔太郎辻潤の「ぼうふら以前」に寄せた跋文である。

こちらで、全文が読めます。「辻潤の響き」というHPです。こういう仕事に敬意です。
  →http://www.geocities.co.jp/WallStreet-Stock/2243/TJ_Hibiki/TsujiJunToTeijinKyo.html



辻潤が、市井の人たちをどうみていたかについてです。

評伝的に書かれたもので、この部分をきちんと書いているものはあまりないように思います。

やはり、「大衆」という言葉にまとわりつく諸々が影響してるのかと思ったりします。

極論すると、「天皇陛下萬歳」から一夜明ければ「ギブ・ミー・チョコレート」ですから、「大衆」とい

う言葉を使うのは、その変貌にうろたえた文化人はためらって当然だったかと思います。

そんな事も影響してか、エピソードはいくらでもありますが、突っ込んでか書ききれてないのではと思っ

たりします。

それに、辻は自分が納得したものしか訳さない人で、訳したものに『天才論』なんてのがあったりもしま

す。むずかしいテーマですけど、とりあえずイメージはこんなのかなあという所を。


群ようこさんに『贅沢貧乏のマリア』という、森茉莉さんについて書いた本があります。

森茉莉さんは、文豪森鴎外とその二人目の妻志げの長女になる方で、この本は、群ようこさんによる評伝

になるのかもし知れません。


森茉莉さん。まあ、ふつうにお嬢さんです。しかし、ふつうに苦労もします。

その森茉莉さん。生まれた家は本郷の団子坂上にあったのですが、自分の第二の故郷は昭和十年頃の浅草

下谷神吉町にあったアパルトマントだなんてことを書いてられます。

この下谷神吉町にあったアパルトマン。大家は板金職の棟梁で住民はお妾さん、女給、女優…とこんな

面々です。彼女たちは下着姿で廊下を歩き、往来で会った人と知り合い同士のように話をしたりします。

これについて、森茉莉さんは「さういう人たちが居る事は知っていたが、一つ所に住んで見て、私はいよ

いよ彼等の親しみ深い様子に驚くと同時に、深く彼等を愛するやうになって行った。彼女達は、『森さ

ん』『森さん』と私を呼んで親しんだ。」とか「兎に角浅草での私の生活は、生涯忘れることの出来な

い、楽しい生活であった。嘘のない、楽しい生活であった」とまで書いたりします。


その一方で『贅沢貧乏』に登場する、世田谷のアパートの住民に対してはものすごく冷たい。

「浅草族」に対して「痰吐き族」なんてあだ名までつける始末です。

豪華なスリップは着ているが、持っているタオルは薄汚い。みんなと同じことをするのがよいと思ってい

る。勤労を美徳と思っている。どれもこれも森茉莉をうんざりさせるものばかりだったとあります。


「一目で令嬢育ちとわかるマリアが抱いている自分たちへの親近感をカンで捉えていて、配給の

炭俵を引き摺っているマリアを見れば無言で手を貸すのだ。」これが浅草族。

痰吐き族は「彼らはマリアを見ると、マリアが(もと令嬢)であることを瞬間に嗅ぎつけ、コンプレッ

クスを裏返しにした軽蔑で向かってくる。」

こうした感覚が辻潤とそっくりなので書いてみました。辻も似たような事を書いたりしてます。


今でも外面をテキトーに取り繕って、実質の生活はスカスカっていうのはよくありますなあ。


辻潤は、谷崎潤一郎に「いつもお前は汚い格好をして歩いてるくせに、フンドシだけはきれいだな」とい

われたそうです。



ちなみに、辻潤は「低人教」の教祖でありながら、弟子に頭をどつかれたのは本当の事です。この弟子も

また興味深い人ですので、いつか書いてみたいなあと思ってます。