ハンバーガーショップについてのだらだらした話
嘉門達夫のハンバーガーショップ
→http://trypod.hp.infoseek.co.jp/diary_ofukai_song.htm
これはやっぱりオモロイなあ。
ずいぶんと前に【環境命】の男に借り出されて、ISO14000を批准するためのシンポジュウムを手伝った事
があります。
その時に、たしか?ABBガデリウス(現アルストムジャパン)のえらい人が講演で言ってたんです。
「マクドナルド的システムこそ、ISO導入のポイントだ」というような事を。
多分やけど、上から下まで同一の対応が出来るシステムを作る事、個人技は徹底して排除し
て行く。そうじゃないと、組織が一つの軸に集約されてこない。そんな事やったかと思います。
・・・とはいってみ、頂点はシステムに組み込まれることはないのですけど。
システムで動いてるから、お姉ちゃんがお釣りを、私の目を見ながら、手を包むようにして
返してくれてもですな、別にドキドキしないのです。
100個頼んでも、持ち帰りか?店内で食うか?を訊くのもシステムがそうやからです。
働く側も、食う側も抽象であって、具体的なものは代金と商品だけです。
もし、宇宙人が来ても同じ接客をするのだろうと思ったりします。それで、不都合があれば組織としてシ
ステムを調整する事が優先します。
ところで、働く側も読み書きソロバンの能力の必要はなくなるかなあ?
バーコードをピッでええし、陳列もデータで決まってるからなあ。
そうなると、その程度の学力の子を育成すればいいわけやしな。育成とはいわないか。
まあ、そんなこんなで結果的には、わざわざ観光地に出かけながら、土地の名物を味わうこともなく、ハ
ンバーガー食うたり、たこ焼き食うたりの風景を全国的に見る事が出来るわけであります。
結局、マクド的システムっていうのも、組織のピラミッド的な構築と同心円的拡大のために、今いちばん
有効な方法という事なんでしょうけど。
ただ、いろいろな人の集まりが、ぜんぶマクド的に構築されてしまうと、まあスゴイことになるんだろう
と思ったりしてます。ん、もうなってるるか?
モビールってものがあります。スゴイものになると、こんなのです。
→http://www.kajima.co.jp/news/digest/aug_1999/kajimajin/image/3.jpg
このモビールを国際政治の理想形としてたのが、国際政治学者の高坂正堯。
えらい人です、何しろ阪神ファンでした。いや、この話はやめとこ。いまの日銀総裁や、平蔵さんもそう
やないかと突っ込まれそうやから。
この形は私も好きなのであります。
人と世間と国家の適当なバランスのモビールです。
人が生きている場を考えると、国家で括られることもあるでしょう。しかし、実感的には世間です。家と
職場と学校と友達と…。
世間体なんて言葉がありますけど、こないだ若い子が「せけんたい」と言ってましたので、ほぼ死語かも
しれませんけど。
世間。事故・災害の速報で、まずは死傷者の中に自分の知った人間がいるかどうかの確認をすると思いま
すけど、取りあえず世間の範囲はそんなものかと思います。
その世間が溶けてきているように思うたりしてます。
国家(行政)が、生活の細部にまで入り込んでいます。
私のところでも独居老人への対応は間違いなく、ご近所ではなくて行政です。
事件・事故のときにテレビに出てくる、ご近所さん。ありゃ、いったい何者かと思ったりします。
モビールで、人と国と世間でバランスがとれていたのに、世間が小さくなってしまって、バランスがとれ
なくなったので、人と国家との関係をより強くするしかないような状態です。
あんまり、いい状態ではないように思います。
もう、盆踊りやからといって仕事そっちのけで世話をするおっちゃんも消えてしまいました。
・・・ちなみに私は河内音頭を聞くと血が騒ぎます。
いつから、こないなややこしい事になったんかなあ?
ISOで思い出しました。
日本はまだILOの重要な三条約を批准してないはずや。
<強制労働の廃止><雇用及び職業における差別待遇><最悪の形態の児童労働禁止>。
欧米相手の商売に必要ならISOにはイソイソやけど。
自分の国の労働環境は?・・・わかりやすい国ではあります。
『マクドナルド化する社会』ジョージ・リッツア(早稲田大学出版会)って本があります。
売れたか?話題になったか?は知りません。
<Honma Note>さんという所にレポートがあります。
→http://eri.netty.ne.jp/honmanote/kyozai/economy/001mac/index.htm
→http://eri.netty.ne.jp/honmanote/kyozai/economy/007mcdnald/index.htm
中途半端な話でゴメンです。
→http://trypod.hp.infoseek.co.jp/diary_ofukai_song.htm
これはやっぱりオモロイなあ。
ずいぶんと前に【環境命】の男に借り出されて、ISO14000を批准するためのシンポジュウムを手伝った事
があります。
その時に、たしか?ABBガデリウス(現アルストムジャパン)のえらい人が講演で言ってたんです。
「マクドナルド的システムこそ、ISO導入のポイントだ」というような事を。
多分やけど、上から下まで同一の対応が出来るシステムを作る事、個人技は徹底して排除し
て行く。そうじゃないと、組織が一つの軸に集約されてこない。そんな事やったかと思います。
・・・とはいってみ、頂点はシステムに組み込まれることはないのですけど。
システムで動いてるから、お姉ちゃんがお釣りを、私の目を見ながら、手を包むようにして
返してくれてもですな、別にドキドキしないのです。
100個頼んでも、持ち帰りか?店内で食うか?を訊くのもシステムがそうやからです。
働く側も、食う側も抽象であって、具体的なものは代金と商品だけです。
もし、宇宙人が来ても同じ接客をするのだろうと思ったりします。それで、不都合があれば組織としてシ
ステムを調整する事が優先します。
ところで、働く側も読み書きソロバンの能力の必要はなくなるかなあ?
バーコードをピッでええし、陳列もデータで決まってるからなあ。
そうなると、その程度の学力の子を育成すればいいわけやしな。育成とはいわないか。
まあ、そんなこんなで結果的には、わざわざ観光地に出かけながら、土地の名物を味わうこともなく、ハ
ンバーガー食うたり、たこ焼き食うたりの風景を全国的に見る事が出来るわけであります。
結局、マクド的システムっていうのも、組織のピラミッド的な構築と同心円的拡大のために、今いちばん
有効な方法という事なんでしょうけど。
ただ、いろいろな人の集まりが、ぜんぶマクド的に構築されてしまうと、まあスゴイことになるんだろう
と思ったりしてます。ん、もうなってるるか?
モビールってものがあります。スゴイものになると、こんなのです。
→http://www.kajima.co.jp/news/digest/aug_1999/kajimajin/image/3.jpg
このモビールを国際政治の理想形としてたのが、国際政治学者の高坂正堯。
えらい人です、何しろ阪神ファンでした。いや、この話はやめとこ。いまの日銀総裁や、平蔵さんもそう
やないかと突っ込まれそうやから。
この形は私も好きなのであります。
人と世間と国家の適当なバランスのモビールです。
人が生きている場を考えると、国家で括られることもあるでしょう。しかし、実感的には世間です。家と
職場と学校と友達と…。
世間体なんて言葉がありますけど、こないだ若い子が「せけんたい」と言ってましたので、ほぼ死語かも
しれませんけど。
世間。事故・災害の速報で、まずは死傷者の中に自分の知った人間がいるかどうかの確認をすると思いま
すけど、取りあえず世間の範囲はそんなものかと思います。
その世間が溶けてきているように思うたりしてます。
国家(行政)が、生活の細部にまで入り込んでいます。
私のところでも独居老人への対応は間違いなく、ご近所ではなくて行政です。
事件・事故のときにテレビに出てくる、ご近所さん。ありゃ、いったい何者かと思ったりします。
モビールで、人と国と世間でバランスがとれていたのに、世間が小さくなってしまって、バランスがとれ
なくなったので、人と国家との関係をより強くするしかないような状態です。
あんまり、いい状態ではないように思います。
もう、盆踊りやからといって仕事そっちのけで世話をするおっちゃんも消えてしまいました。
・・・ちなみに私は河内音頭を聞くと血が騒ぎます。
いつから、こないなややこしい事になったんかなあ?
ISOで思い出しました。
日本はまだILOの重要な三条約を批准してないはずや。
<強制労働の廃止><雇用及び職業における差別待遇><最悪の形態の児童労働禁止>。
欧米相手の商売に必要ならISOにはイソイソやけど。
自分の国の労働環境は?・・・わかりやすい国ではあります。
『マクドナルド化する社会』ジョージ・リッツア(早稲田大学出版会)って本があります。
売れたか?話題になったか?は知りません。
<Honma Note>さんという所にレポートがあります。
→http://eri.netty.ne.jp/honmanote/kyozai/economy/001mac/index.htm
→http://eri.netty.ne.jp/honmanote/kyozai/economy/007mcdnald/index.htm
中途半端な話でゴメンです。